5cm上空
嫌いじゃないのに、ずっと二人で話していると少し疲れる。そんな風に感じる人間は、そう何人もいない。
すぐに名前を挙げられるのは、今現在、自分の隣を歩いている乾貞治ひとりだった。
三月と四月は、極端に忙しい。
それは、手塚が生徒会長でありテニス部の部長でもあるからだ。
今日も部活後に、副部長の大石と共に雑用を片付けていたら、他の部員達よりも一時間近く遅くなってしまった。
乾が手を貸してくれなかったら、もっと時間がかかっていたかもしれない。
明るいうちに、三人で校門を出ることができたのは、乾のおかげだ。
大石は帰る方向が違うので、途中から乾とふたりきりになった。
ぼそぼそと、低い声で話しかけてくる長身を、ちらりと横目で見上げる。
外見は、とても気さくそうには見えないけれど、案外乾は面倒見がよく、頼りになる。
今日も、手塚と大石の様子を見て、大変そうだと察してくれたらしい。
自分から手伝うよと声をかけてくれた。
分厚いレンズ越しに見える目は、いかにも一癖ありそうな色をしている。
だが、笑うと少しだけ目じりが下がり、可愛げがないでもない。
もっとも、一年のときからのつきあいなのに、それに気づいたのはごく最近のことだ。
乾は、手塚の視線に気づいたのか、軽く首を傾げた。
何を言い出すのを待っているのだと思う。
じっと誰かの顔を見つめるということに、手塚は不慣れだ。
戸惑いながら目をそらし、不自然に思われないような話題を探した。
すぐに頭に浮かんだのは、今日の午前中に行われた身体測定のことだった。
「どうだったんだ」
「え?何が?」
きょとんとした顔で聞き返され、やっと自分が主語を省いていたことに気づく。
乾を相手にしていると、時々こういう真似をしてしまう。
「身体測定だ。お前もやったんだろう?」
内心の焦りを隠しながら、精一杯落ち着いているふりをした。
うまくできているかどうかは、わからない。
「ああ、身体測定ね。うん。やったよ」
勿体つけた返事は、嫌がらせだろうか。
「で?どうだった」
「なに。手塚、俺のスリーサイズを知りたいのか」
「お前は馬鹿か?身長と体重を聞いてるんだ」
乾は、ああそうと、大げさに頷いた。
どうも、乾と話していると、調子が狂う。
だからといって、一緒にいるのが嫌なわけではないのだ。
「身長は、184センチ。体重は64キロだった」
頭の中で、自分との差を計算する。
単純な計算なので、答えは一瞬で出た。
つい、眉を寄せそうになるのを必死で抑えた。
ここで、不機嫌な顔を見せたら、乾を喜ばせるだけだ。
「手塚は?」
聞かれるだろうと覚悟していたので、即答する。
「俺は179センチ、58キロ」
「なるほどね」
見れば、乾は、うんうんと何度も頷いていた。
「何が、なるほどなんだ」
「いや、別に」
乾は、口元だけで、にやりと笑う。
意地の悪い笑い方だが、その顔は嫌いじゃない。
誰かの表情を、好きとか嫌いとか、考えたことなんて今まであったろうか。
さっきから、何かするたびに、自分のらしくなさを意識する。
もしかしたら、乾といて疲れるのは、そのせいなのだろうか。
それなら、とことん自分らしくないことをしてみるのも、いいのかもしれない。
どうせ、駅までの道は、そう長い距離じゃない。
薄い笑いを浮かべたままの乾の顔を、今度は逃げずに、見つめてみた。
乾は、少し目を瞠ったが、すぐにいつものポーカーフェイスに戻る。
「お前、一年のときは、俺より小さくなかったか」
「小さかったよ」
「抜かされたのは、二年になってからか」
「そうそう。二年の二学期だな。夏休みが終わったら、俺の方が大きくなっていた」
ああ、そうだった。
乾ほどには記憶力は良くないが、そのときのことは、覚えている。
大きな差はなかったとはいえ、少し前までは、間違いなく手塚より小さかった。
成長期だから、背が伸びるのは当たり前だが、自分と乾の成長速度に差があることが、少なからずショックだったの。
自分では、はっきりと意識していなかったが、多分ずっと気になっていたのだろう。
だから、身長を聞いたとたん、自分との差を計算した。
そして、その差が前回の身体測定と、何も変わっていないのが悔しかったのだ。
そもそも、乾の身長を覚えていること自体が、手塚には珍しいことだ。
今思えば、乾を乾と意識しはじめたきっかけは、あのときだったのかもしれない。
急に自分の背を追い抜いた、同級生。
ツンツンの短い髪と度のきつい黒縁眼鏡。
ひょろりとした後姿を、なんとなく追いかけたのは、いつのまにかついた5センチの差のせいか。
184−179=5
数字だけ見れば、たいした差だとは思わない。
だけど、隣に立てば、案外に大きい。
たかが、5センチを追い抜き返すのは、簡単じゃない。
手塚がなにを考えているか見透かしたように、乾は目を細めて、くすりと笑った。
やっぱり、少しだけ、人がよさそうに見える。
「身長くらい、勝たせてくれよ」
「今はな」
「いずれは抜かすって言いたいのかな」
「そうだ」
顎を上げて乾を睨み付けると、乾は一瞬だけ黙り、すぐに声を出して笑い始めた。
5センチ上から降ってくる笑い声は、そう悪いものでもなかった。
2008.04.26
中学生乾塚。寸止めです。