秘密会談
「乾ってさ、結構もてるって知ってた?」部室の中には甘い香りが漂っていた。
部員が日誌を書いたりするのに使っている大きな机の上には昨日のバレンタインの戦利品と思われるチョコレートの箱がいくつか、既に空になった状態で散乱している。
傍で見ているほうが胸焼けしそうになる量をぺろりとたいらげたのは、越前、桃城、菊丸、不二の4人。
この4人は部活が終わったあとも、よく意味もなく部室に居残っている。
今日もバレンタインにテニス部に届けられたチョコをつまみながら、他愛もない話に花を咲かせていた。
お人よしの大石はなんとなくそれにつき合わされ、部長の手塚は日誌をつけるために残っていたが、ふたりともチョコレートには手をつけなかった。
いつもならここに乾もいるのだが、今日は用事があるとかで先に帰ってしまっていた。
いろんなタイプのチョコを手当たりしだい味見しながらの話題は、どうしても昨日のバレンタインデーに関することに集中してしまう。
誰が一番多くもらえたかとか、どのチョコが一番美味しいかなんていう話で盛り上がった後で、ふと不二が漏らした言葉。
それがさっきの台詞だった。
「乾ぃ?乾がもてるなんて、聞いたことないよ。ね、おチビも桃も知らないっしょ?」
目を丸くした菊丸が、後輩二人に同意を求めた。
「ないっす」
「っす」
「でしょ?でしょ?どー考えても、乾はモテるタイプじゃないよ」
後輩二人の賛同を得て、菊丸は自信を持って断言する。
容赦なく帰ってくる返事に、不二はふふっと軽く笑った。
「それがね、意外とそうでもないんだな」
不二が言うとどうということのない言葉でも、何か深い意味があるように聞こえてくるから不思議だ。
いつもの穏やかな笑顔とは違う、含みのある表情で言われると尚更だ。
聞くとはなしに4人の話を小耳に挟んでいた手塚さえ、つい横目でちらりと伺ってしまった。
乾という言葉に無意識に反応してしまったことに自分で気づいて、手塚は思わず眉を顰めた。
その瞬間、不二がくすりと笑ったのはたまたまなのか。
それとも手塚が見ていることがわかったからか。
手塚はなんとなく気まずくて、すぐに顔を日誌へと向けた。
「僕、見ちゃったんだよね」
「何を?」
「あのね英二。今から言うから。ツッコミ早すぎだよ」
「ごめん」
不二は少々勿体をつけるように間を空けてから先を続けた。
「昨日さ、乾はあちこちから大量のチョコレートを預かってきたよね?」
「うん。俺宛のもかなり持ってきたよ」
10個はあったかなあと菊丸は指を折って確かめている。
「あ、そうっすね。俺宛のも何個か乾先輩から渡されました」
「…俺のもあったっす」
桃城、越前の答えを聞いて不二は満足げに微笑んだ。
「僕宛のも、手塚宛のもあったよ。確か紙袋二つくらいぶら下げてなかった?」
不二がそういうと、残り三人もこくんと頷いた。
「だけどね。乾のバッグの中にもかなりの数のチョコが入ってるの、見ちゃったんだよね」
「えー?マジで?」
菊丸はいちいちツッコミを入れないと気がすまないらしい。
「うん。結構な数だったから、乾にすごいねって関心したら、これは単なる義理だなんて言うんだよ」
「義理チョコ?」
やっぱりまた菊丸が反応する。
「乾が言うには、他のメンバーにチョコを渡すお礼としてもらったってことらしいんだけどね。でも、あれは全部が全部そういうものだと思えないんだ」
不二はここでみんなの顔を見回して、にっこりと笑った。
「乾は普段からやたらと頼まれごとをされるよね?」
不二の言うとおりだった。
部員へのサポートはもう当たり前になっているが、それ以外でも乾はなぜか色んな方面から頼られるのだ。
棚の上のものを取るとか、黒板の上のほうを消すとか、蛍光灯の交換など長身を見込まれての頼まれごと。
理系方面に強いということで、担任の教師のパソコンのメンテナンスをお願いされたり、後輩部員の臨時家庭教師をやってみたり。
手塚の知ってるだけでも、ざっとそれくらいはある。
聞き耳を立てていることがバレないように、手塚はペンを動かすのを忘れないように気をつけていた。
「僕が思うに、あれはカモフラージュじゃないかな」
「へ?なにそれ。どーゆーこと?」
「ようするにね、英二。ダシに使われたのは僕らの方なんだよ、きっと」
あ、と越前が小さな声を上げた。
「越前はわかったみたいだね」
不二はにやりと笑った。
「本命は乾先輩だけど、本人に直接渡しにくいから、俺らに渡すふりをして乾先輩に…ってことでしょ?」
「そ。義理と称したお礼のチョコが本当は本命チョコなんだよ。頼まれごとキングの乾なら自然に渡せるから」
「なーんで、それが本命だってわかるのさ?」
菊丸の言うことも尤もだと手塚はひそかに同意していた。
「乾のバックには結構高そうな店のチョコやら手紙らしいものが付いているのがかなり入ってたんだよ。いかにも義理チョコってのもあったけどさ」
現役女子大生の姉がいる不二の言うことには説得力がある。
「僕がちらっと見たところでは、本命チョコらしきものは二桁はあるな」
「ちらっと見ただけで、よくもそこまで判断できますね」
呆れた顔の越前に残り二人はそれが不二なのだと言いたげに頷いていた。
「笑っちゃうのは、乾本人はぜんぜんそれに気づいてないってとこ」
「ほえ?不二、本命も混じってるって乾に言わなかったの?」
「どうして僕がわざわざそんなことを教えてやらなきゃいけないんだい?」
同時に三人が、「うわあ」とか「ひでぇ」と声を上げた。
当の本人はあくまで優雅に微笑んでいるのが余計に怖い。
「乾は肝心なところが鈍いんだよねえ」
妙に嬉しそうに不二が言うと、菊丸や桃城もその通りだと笑い始めた。
一年生の越前はさすがに先輩に向かってそこまでは口に出せないのか、困った顔で頭を掻いていた。
「ほら、おしゃべりはそれくらいにしてそろそろ帰れよ。みんなが出て行ってくれないと俺も手塚も帰れないだろ」
不二達が中々帰ろうとしないのに業を煮やしたのか、大石が大きな声で4人を促した。
「はーい。じゃ帰ろうか」
不二が立ち上がったのをきっかけにして他の面子もぞろぞろと席を立つ。
「んじゃ大石、外で待ってるよん」
菊丸はひらひらと手を振って外に出て行き、後輩二人も手塚への挨拶を済ませてから部室を後にした。
不二だけがドアを閉めるとき、手塚を薄笑いを浮かべてちらりと見ていたのが少し気になった。
皆が出て行った後の部室に鍵をかけ、一人でそこを出た。
久しぶりに一人で歩く帰り道で、手塚が考えることはずっとひとつのこと。
知らなかった。
乾がもてるなんてこと。
乾はもっともててもいいんじゃないか。
実は前々から手塚はそう思っていた。
テニスは強いし、頭もいい。
後輩の面倒見もよく、努力家だ。
確かにあやしげな振る舞いをしたりもするが、人当たりは悪くない。
基本的には年齢よりも落ち着いた頼りがいのある人間だ。
それだけじゃない。
特徴のありすぎると髪型と眼鏡に惑わされて気が付きにくいが、素顔の乾は左右対称でゆがみのない整った顔立ちであるのを手塚は知っている。
長い手足はとてもしなやかで、綺麗な筋肉がついている。
そんな乾はもっと人気がでてもいいのに。
いつもそう考えていた。
だが、同時に乾の良さをちゃんとわかっているのが自分だけだということをどこかで自慢に思っていた気がする。
乾がもてると不二に聞かされたとき。
それが当然だと感じた。
でも、話を聞くにつれ、どんどん別の感情が湧きあがったことに自分でも気づいていた。
自分以外の誰かが、乾の良さを知っていて、乾を好きになる。
それがなんとなく不愉快だった。
そして、不愉快に思ってしまうことにも腹が立ってしかたない。
この感覚はなんなんだろう。
さっきから乾の顔が頭から離れない。
いっそ携帯電話で乾を呼び出して、怒鳴りつけたい気分だ。
お前のせいで、いらいらする。
そう言えたらさぞすっきりするだろう。
だけど、そんなことをしたらきっと乾を喜ばせるだけだ。
この気持ちが何かはわからなくても、それくらいのことは予想がつく。
せめてメールで「馬鹿」と送ってやろうかと思ったが、馬鹿はどっちだと思い直した。
一人で帰る道は、なぜだかいつもより長く感じて、手塚は駅に着くまでに何度もため息をつくのだった。
2006.2.18
バレンタイン翌日。馬鹿中学生。もちろん、乾と手塚はいい仲です(笑)
以前、裏板か何かで書いたネタを膨らませてみました。ここんとこ大人の話が続いてたので、ちょっとかわいいのが書きたかったのでした。
私はあんまり嫉妬深いキャラが得意じゃないんですけど、無自覚なやきもちをやく手塚はかわいいと思います。きゅん。