Lemonade

(※※不二様視点。乾と手塚が出てきませんが、乾塚です)



部を引退したからといって、テニスをしない日が一週間と続くことはない。
僕がテニスを忘れられないのか、テニスが僕を忘れてくれないのか。
どちらにしても、相思相愛であることは間違いない。

おかげ様で進路は、ほぼ確定しているので、外部受験をする連中よりも遥かに余裕がある。
平均したら三日に一度はラケットを振っているし、十日に一度は誰かと試合形式で打ち合いをしている。
ただ、その相手は誰でもいいわけではない。
そこそこ自由に使える時間があり、僕を楽しませてくれる実力を持ち、誘っても嫌な顔を見せたりしない。
そんな条件にかなう人間はそういるものでなく、専ら僕のお相手をしてくれるのは、二年下の後輩「越前リョーマ」だった。

「先輩、三年のくせに、ホントに暇だね」
「それにつきあう君もね」
憎まれ口付きであっても、彼が相手なら文句なし。
越前のおかげで、部を引退してからの数ヶ月を、ほとんど退屈せずに済んでいた。

どうしてつきあってくれるのかを、一度越前に聞いたことがある。
僕が入会しているスポーツクラブの、シャワーつきの綺麗な室内コートをただで使わせてもらえるから、ということだった。
本当は越前にもビジター料金が必要だが、それは僕が払うことにしていた。
「先輩、気前がいいよね」
「感謝してくれる?」と僕が聞くと、越前はにっこりと笑って「してます」と頷く。
口ばっかりの生意気な後輩は、可愛げのないところが結構可愛い。

今日も三連休の中日を利用して、越前とたっぷり三時間ほど打ち合いをした。
午前中は越前が起きられないだろううからと、待ち合わせは午後からにしたけれど、それでも彼は30分遅れでやってきた。
越前の遅刻は貸しとして全てチェックしてあり、それがある程度溜まったら、まとめて何か埋め合わせをしてもらうという約束も取り交わしてある。

ほぼ一週間ぶりに手合わせした越前は、最初から遠慮無しで向かってきた。
彼の頭の中には、序盤は様子を見るなんて選択は存在していないらしい。
それでこそ越前だ。
僕が笑ってそれに応じれば、やはり越前もにやりと笑い返してきた。

越前は、どんどん強くなる。
二人で打ち合っていると、それがはっきりと伝わってくる。
きっと越前がそう僕に伝えようとしているからだと確信している。
止まらない進化を僕に見せ付け、僕に挑みかかる。
青学のコートの中では殆ど見せたことのない、わかりやすいほどの挑発は相手が僕だからだ。
そう思うのは、きっとうぬぼれではないはずだ。
それならば、僕も同じように応えるだけだ。
時間を惜しみ、コートが使えるギリギリの時間まで打ち合った。

「先輩、まだ本気でやってないでしょ」
越前は、自販機で勝ったばかりの炭酸飲料の缶を開けた。
いつも飲んでいるオレンジが売り切れで、今日はレモン味の炭酸を飲んでいた。
駅まで向かう道を、越前と並んで歩くのも、これで何度目だろう。
帽子のロゴが見える位置は、春よりも確実に高くなっている。
でも、僕を呼ぶ声は、まだまだ高い子供のトーンだ。

「そう簡単に、君に手の内は見せられないからね」
今のところ、越前との勝敗は五分と五分といったところ。
越前とは勝ち負けよりも、いかに相手を挑発し本気にさせるかを楽しんでいる。

「本気を出さなくても、俺に勝てると思ってんだ」
帽子の下から、油断のない視線がちらりと覗く。
「まあ、そういうことになるかな」
「やな感じ。今の言い方、乾先輩みたいっすよ」
「え?そう?」
心外だと僕は笑ったけれど、越前は案外真面目な顔をしていた。

「不二先輩って、乾先輩と結構仲がいいよね」
「どうだろう。割と話は合うけどね。あれで、仲がいいっていうのかなあ」
「よく、二人でこそこそ内緒話してるじゃないっすか」
「そんな風に見える?」
越前は、こくんと大きく頷いた。

「乾先輩、外部受験するって噂ですけど」
「ああ、それは、なし。うちの高等部に進むことに決めたみたいだよ」
「え?本当っすか」
大きな眼を、更に大きくしているところを見ると、本気で驚いているらしい。
「手塚が留学を一年先に延ばしたからね。来年も一緒にやれるとわかったから、惜しくなったんじゃない?」
「ふぅん」
越前は、小さな声で呟き、僕を横目で見上げてから、足元の小石を軽く蹴った。

「乾先輩って」
普段は、ずけずけと物を言う後輩が、珍しく慎重に言葉を選んでいる。
俯いた顔は、少し困惑しているようにも見えた。
「ん?何?」
「部長のことしか、頭にないんですね」
正確には、手塚はもう部長じゃない。
でも、越前の中では、まだ手塚は『部長』なのだろう。

「越前には、そう見えるの?」
「先輩には、そう見えないんすか?」
「さあ、どうだろう」
くすっと笑うと、越前は不満げに唇を尖らせる。
「だーかーら。そういう言い方が乾先輩っぽいんですよ」
「やめてよ」
笑った拍子に肩にかけていたバッグがずれる。

「そういう君もさ、ちょっとフォームやスタイルが手塚に似てきたよ」
「嘘でしょ?」
「ほんと。偉そうなとこも、よく似てる」
「俺、あんなに老けてません」
越前は、憮然とした表情で炭酸を傾ける。

「老けてるは、ひどいんじゃない?」
「だって、絶対中学生に見えないっすよ」
「それをいうなら、僕だって乾みたいに怪しげじゃないよ」
「や、それはいい勝負」
「それ、どういう意味かな?」
先輩相手でも遠慮のない会話がしばらく続いたけれど、ふと何か思い出したように、越前が一度口を閉ざした。

「ねえ、先輩」
「なに?」
「なんで、さっきからあの人達の話ばっかりしてんだろ」
「ああ、そうだね」
僕がくすっと笑っても、越前は困ったような顔のままだった。

「どうしてかわかんないけど、何か気になるんすよ。あの人達」
「そうなんだ」
「あの人達は、俺とは全然違うところを見ているみたいだ」
「まあ、確かに君とは視点が違うからね」
珍しく真面目な顔をした後輩をからかうと、じろりと上目遣いで睨まれた。

「先輩が言う?それ」
「ごめん」
素直に謝ったせいか、越前はすぐに機嫌を直したようだ。
そんなところは、ちょっと可愛い。

「とにかく、なーんか気になるんです。あの二人」
「ああ、それはきっとね」
僕が何を言い出すのか。
越前は大きな目をじっと僕に向けて、待っている。

「やっぱり止めた」
足を止めた越前を置いて、僕は先を歩いた。
自然と口元が緩んでしまう。
「なに、それ」
「越前には内緒」
「むかつく」
怒った声と一緒に、走ってくる足音が聞こえる。

「先輩」
決して大きいとは言えない越前の手が、僕の上着の裾を掴んだ。
「何?」
「次の打ち合いで、俺が勝ったら教えてよ」
「いいよ。でも、僕が本気になったら、絶対負けないけどね」
「マジで、むかつくんですけど」

僕に勝たなくても、そのうち越前も自然と気づくだろう。
でも、「いつか」を待てないのが越前リョーマなのだ。
我侭なほどに真っ直ぐで、欲しい物はどうしても手に入れないと気がすまない。

「越前、子供だなあ」
僕が声を上げて笑ったら、越前は小さな声で「ちぇ」と呟いて、悔しそうな顔で残りの炭酸飲料を飲み干した。
「すっぱい」と眉を顰める顔は、同じ左利きの誰かさんに、ちょっとだけ似ていた。

2008.01.11

半年くらいかけてポチポチ打ってました。決勝が終わっちゃったら、もう書けない気がしたので、頑張って仕上げてみた。
乾と手塚が出てこない「乾塚」を書いてみたかったんです。そうなると、二人を語らせるのは、リョマと不二様しかいないんだな。
基本的に一世界一ホモの私ですが、リョマと不二様がほんのり思い合っているのは好きです。