尻尾の秘密
ベッドに入るまでは、ちょうどいい温度だったのに、今は少し暑い。暖房の設定温度は変わっていないだろうけれど、汗をかくようなことをしたのだからしょうがない。
疲れた身体に、この室温では、どうしたって眠くなる。
手塚は、裸でうつ伏せになったまま白いシーツの上で、うとうととしていた。
自宅では、絶対にやらないことでも、乾の部屋だとなぜかやってしまう。
そのまま本格的に眠りに落ちそうになったとき、不意打ちのように自分に触れたものがあった。
びくっと身体が揺れる。
乾の指が、手塚の尾てい骨のあたりを触ったのだ。
「……いきなり触るな」
我ながらものすごく不機嫌そうな声だ。
わざとではないが、今の状況にはちょうど良かったかもしれない。
「ああ、ごめん。つい気になって」
少しだけ首をひねり、乾の様子を伺ってみた。
案の定、少しも悪いなんて思ってないだろうという顔で笑っていた。
「そのままじゃ風邪を引くよ」
乾は足元から毛布をひっぱり上げ、手塚の肩を丁寧に包んだ。
当の本人は、腰から下にだけ毛布をかけ、上半身は起こしたままだ。
「お前はいいのか」
「うん。俺は平気だ」
こうやって手塚だけを甘やかすのは、乾の趣味みたいなものだ。
眠っていいよと、長い指が優しく手塚の髪を撫でた。
だが、寝かしつけられる前に、乾に聞いておきたいことがある。
「さっきのは、なんだったんだ」
「ん?」
「気になるって言っただろう」
ああ、と低くつぶやき、乾は小さく笑った。
「手塚には尻尾がないなあと思ってね」
「当たり前だ。俺は人間なんだ」
お前にはどう見えているか知らないが。
そう付け加えると、さらに楽しげに笑う。
「知っているよ。でも、ちょっと確かめてくなってね」
今さら、乾を変わっているなんて言う気はない。
だが、時々、何を考えているか、まったくわからなくる。
ないことを知っているのに、確かめたくなるという意味が、手塚には理解できない。
「尾のない哺乳類って、すぐに思い出せるか?」
こういうのは、乾の得意分野だが、手塚はそうでもない。
答えるまでに、数秒かかった。
「ゴリラやチンパンジーには、ないと思うが」
「そう。類人猿にはない。だから、オランウータンやテナガザルにもない」
「人間と近い猿にはないということか」
「それに、コアラとモルモットにもないんだ」
これはちょっと意外だったが、確かに尻尾を見た記憶はない。
どうして尻尾のことなんか考えていたのか。
乾相手に、こんな質問をしても意味がない。
ただ気になったとか、その程度の答えが返ってくるだけだ。
手塚は肩にかかった毛布を引き上げ、くるりと身体の向きを変えた。
さっきより乾の顔が良く見えた。
夏休みに比べ、冬休みはずっと短い。
その貴重な一日を使って何をするかと言えば、こんなことだ。
乾の家族が留守がちなのをいいことに、日の高いうちから、裸で抱き合っている。
少しも後ろめたさを感じないと言えば、嘘になる。
だが、この行為でしか得られないものが確かにある。
恋愛ごとには疎い手塚も、何度か身体を重ねてみてわかった。
限られた自由な時間を、こうして乾と過ごすごとに後悔はない。
ベッドの上では必要はないだろうに、乾はすでに眼鏡をかけていた。
手塚はまだかけていないが、ただ寝転がっているだけだから、困ることはない。
服を着ずに眼鏡をかけて、何を見るつもりなのか。
できれば、あまりこちらを向いて欲しくないのだが。
だが、乾の視線はずっと手塚に向けられたままだ。
「もし手塚に尻尾があったら、きっと猫みたいな感じだな」
そう言った本人が、猫のように目を細めた。
「猫?」
「そう。猫みたいな、長くてしなやかな尻尾が似合いそうだ」
想像してみたが、そもそも自分の後姿を見たことがないから、よくわからなかった。
かわりに、乾に似合いそうな尻尾を考えてみたが、やはりぴんとこない。
「お前に尻尾がついているところを、想像できない」
「あれ?俺は手塚に名前を呼ばれると、いつも思い切り尻尾を振っているんだけど見えなかった?」
ああ、そう言われてみれば、確かに乾には犬の尻尾が似合いそうだ。
本人が言うくらいだから、間違いない。
「尻尾ってさ。あると便利だよね」
見えない尻尾を持っている男は、小さく笑う。
「どうしてだ」
「顔は無表情でも、尻尾を見れば気持ちがわかるじゃないか」
話の展開がなんとなく想像できたので、あえて黙っていた。
「手塚にもあると良かったのにね」
予想通りの言葉に、間を空けずに返事をした。
「いらない。邪魔だ」
「ん?やるときに?それは大丈夫だと思うけど」
「誰がそんなことを言っている」
「いや、安心してもらいたいから」と、まだ話を続ける。
放っておくと、いかに大丈夫かを延々と説明されそうなので、強引に止めてやることにした。
「説明はいらない」
あいにく、相手に巻きつけるような長い尻尾は、持ち合わせていない。
だから、かわりに自分の足を乾の足に絡ませてみた。
この時点で、乾の口が閉じた。
それから、一度だけ乾の名前を呼んでみる。
大きな声は必要ない。
この距離なら、囁くだけでもいい。
乾は、唇の端を、ほんの少し持ち上げる程度の笑みを浮かべただけだった。
でも、手塚には元気良く振られている尻尾が、今度は本当に見える気がした。
2011.01.21
数日前、ぼんやりと「尻尾のない哺乳類って何がいたっけ?」と考えたのがきっかけ。
乾=犬は自分の中では決定事項なんだけど、正直なところ手塚は猫よりも「虎」が似合う気がする。