往復書簡

空になった弁当の容器を手早く片付け、元通りに包む。
机の上のが汚れていないかを確認して、鞄の中から本を取り出した。
カバーのかかった文庫本をパラパラと捲ると、薄い紙の挟まった箇所で自然とページが分かれた。

――今日はクロスワードか。
手塚は、ほんの僅か目を細めて、二つ折りされた白いメモ用紙を丁寧に開いた。
紙の上には、すっかり見慣れた四角い文字が、びっしりと並ぶ。
最後に書かれたS.Iというサインを確認してから、手塚はまた一行目に視線を戻し、今度はゆっくりと中身を読み始めた。

本の貸し借りという名目で、乾とおかしなやり取りが始まって、そろそろ二ヶ月ほどになる。
きっかけは手塚の誕生日だった。
今年の10月6日は日曜日で、その翌朝に乾から一冊の本を渡された。
それは数日前に貸していたものだ。

戻ってきた本のページの間に、綺麗な青空の写真が挟まっていた。
裏を返すと『誕生日おめでとう』の文字が書いてあった。
別な本を新たに選び、そこにカードの返事を挟んでまた乾に手渡した。
どうやら、それを乾が気に入ったらしく、なんとなく今まで同じようなやりとりが続いている。

本に挟まっているものには、様々なバリエーションがあった。
誕生日のときのように、乾が撮影した写真をカードにしたものもあれば、今日のように文字のびっしりと書き込まれたメモの場合もある。
その内容も色々で、一番多いのは貸した本の感想だが、時々クイズやパズルのようなものが書き込まれていたりする。

凝り性の乾が出す問題だけあって、これが、中々に手強い。
解くのに三日も四日もかかることもある。
だから、つい夢中になってしまうのだ。
ときには、図書館で調べ物までして答えを考えることもあった。

苦労して解いた答えを紙に書き、また本に挟んで乾に手渡す。
そうすると、間違いを指摘する長文が返ってきたり、正解の賞品だと書かれたメモと一緒に綺麗な栞が挟まっていることもあった。
貰った栞は、そのまま大切に使わせてもらっている。

大抵の場合、乾とは朝のうちに本の受け渡しをしておき、中を確かめるのは、昼休みと決めていた。
最近は昼休みが来るのを、待ち遠しいとさえ感じるようになった。
こんなに休み時間を楽しいと思ったのは、三年近い中学生活の中で、初めてかもしれない。

だが、この遊びにはリミットがある。
手塚が日本を離れれば、それで終わりだ。
そんなことは、最初から分かっていたことだ。
だが、こんなに乾を好きになるとは思っていなかった。
それだけは自分の計算外の出来事だった。

乾が作ったクロスワードに、手塚は視線を落とす。
綺麗に並んだ白と黒のマス目の向こうに、挑戦的に笑う乾の顔が見えるような気がした。

手塚の誕生日をきっかけに始まったのは、おかしなやり取りだけではない。
都合が合えば、駅までの道のりを乾と二人で歩くことが多くなった。
わざわざ約束したりはしないが、お互いに、それとなくタイミングを合わせているような感じだ。
今日も、放課後に乾がふらりと手塚の教室の前までやってきたので、こうして肩を並べている。

「今日の、もう見た?」
乾が言っているのは、自分が作ったクロスワードパズルのことだ。
顔を見ると、にやりと唇の端を上げる。
「ああ、見た。結構、難易度が高そうだな」
「そりゃ、手塚専用だからね。簡単な問題じゃ、失礼だろう」
いかにも自信のある表情で言った後で、くすくすと笑い出した。

「なんてね。偉そうに言ってるけど、実はかなり四苦八苦して問題を作っているんだ」
「そうなのか」
「うん。ネットやら百科事典やらを駆使してね。今日渡した分は夜中までかかったから、ちょっと睡眠不足かな」
微笑む乾の目は、言われてみれば確かに、ちょっとだけ赤い。

「ま、結局好きなんだけどね。こういうことが」
「俺ばかりが楽しませてもらっているようで、悪いな」
いくら趣味とはいえ、乾は寝不足になるくらい頑張ってくれているのに、受け取るだけの自分を申し訳なく思った。

乾は、歩く速度を少し落とし、じっと手塚の顔を見つめている。
「手塚は、そんな風に思っていたのか?」
「ああ」
「俺の方は、無理やりこっちの趣味につきあわせてしまってると思ってた」
そんなことは、ない。
そう返事をする前に、乾はふっと顔をほころばせた。

「でも、楽しんでくれてるんだな」
少し照れたような、でも心から喜んでいるのがわかる笑顔だ。
「勿論だ」
ただの義理なら、こんなに長くは続かなかった。
手塚は、そう暇ではないし、気が長い方でもない。

乾との知恵比べは単純に面白い。
それ以上に、テニスだけの付き合いでは知りえなかった、乾の一面を見られるのが嬉しかった。
そう思っている事を、言葉に出来ない自分が歯がゆい。
でも、乾は嬉しそうに頷いた。

「これから、手塚は忙しくなるってことは理解しているつもりだ」
手塚は黙って乾の言葉に耳を傾けた。
乾がこれから告げることは、ひとことも聞き逃してはいけない。
そんな気がしたから。

「だから、返事は時間のあるときだけでいい。そういう条件で、これからも俺の遊びにつきあってくれるかな」
「……どうやって、やりとりするんだ?」
いずれ自分は日本から離れてしまうのに。

「手塚は、頭が固いな」
乾は本気で呆れたとでもいうように、大げさにため息をついた。
だけど、すぐに笑顔に戻る。
「メールで十分可能じゃないか」
「そう、か。そうだな」

本に挟むという手段が印象的だったので、どうやらそこにとらわれ過ぎていたようだ。
視点を変えれば、手段なんか、いくらでも見つけられる。
パズルを解くのと同じじゃないか。

手塚が何を思っているのか、乾には十分伝わったらしい。
ぴたりと足を止めて、手塚に向かって手を差し出した。
「じゃあ、これからもよろしく」
乾は
「ああ」
手塚も同じように足を止め、その手を握り返す。
乾の掌は、大きくて暖かい。

三年も傍にいたのに、こうやって手を握るのは初めてだ。
唇の柔らかさは、もう知っているのに――

いつか触れた乾の唇は、今は手塚の目の前で、楽しそうな笑みを浮かべていた。

2008.02.07

手塚の誕生日に書いた「昨日の青空」と、その後に書いた「明日の天気」の続き。
乾はパズル系は得意そうだなあ。

に耳を傾けた。
乾がこれから告げることは、ひとことも聞き逃してはいけない。
そんな気がしたから。

「だから、返事は時間のあるときだけでいい。そういう条件で、これからも俺の遊びにつきあってくれるかな」
「……どうやって、やりとりするんだ?」
いずれ自分は日本から離れてしまうのに。

「手塚は、頭が固いな」
乾は本気で呆れたとでもいうように、大げさにため息をついた。
だけど、すぐに笑顔に戻る。
「メールで十分可能じゃないか」
「そう、か。そうだな」

本に挟むという手段が印象的だったので、どうやらそこにとらわれ過ぎていたようだ。
視点を変えれば、手段なんか、いくらでも見つけられる。
パズルを解くのと同じじゃないか。

手塚が何を思っているのか、乾には十分伝わったらしい。
ぴたりと足を止めて、手塚に向かって手を差し出した。
「じゃあ、これからもよろしく」
乾は
「ああ」
手塚も同じように足を止め、その手を握り返す。
乾の掌は、大きくて暖かい。

三年も傍にいたのに、こうやって手を握るのは初めてだ。
唇の柔らかさは、もう知っているのに――

いつか触れた乾の唇は、今は手塚の目の前で、楽しそうな笑みを浮かべていた。

2008.02.07

手塚の誕生日に書いた「昨日の青空」と、その後に書いた「明日の天気」の続き。
乾はパズル系は得意そうだなあ。