手のひらサイズ
乾の手が大きいことは、ずっと前から気づいていた。長身に見合う、薄くて広い掌と関節の目立つ長い指。
ラケットを握っていても、その大きさは良く目立つ。
自分自身も決して、小さい方ではないが、乾はもっと大きい。
あの手が持つと、マグカップが普通のコーヒーカップに見える。
でも、あまりに見慣れてしまっていて、普段はあまり意識していなかったのかもしれない。
その大きさに改めて気づいたのは、部室で、乾が携帯電話を弄っているときだった。
手塚が日誌を書き終えるのを待つ間、既に着替えも済ませた乾は、ずっと携帯に何かを打ち込んでいた。
メールなのかメモなのかわからないが、そのスピードは恐ろしく速い。
携帯で文字を打つのが得意ではない手塚にしてみたら、信じられないほどの速度だ。
思わずペンを動かすのを止めて、向かい側に座る、乾の手元をじっと見つめてしまったほどだ。
手塚の視線に気づかず、乾はひたすら親指を動かしている。
そのとき、ふと、あることが気になった。
乾の携帯電話は、なんだか小さく見えたのだ。
見るのは初めてじゃないのに──。
普通は、もう少し大きくないだろうか。
一度、そう思ってしまったら、とことん気にかかる。
実際に確かめたくて仕方なくなった。
声をかけたかったが、邪魔をしては悪い。
手塚は、少しの間、待ってみることにした。
日誌にペンを走らせながら、ときどき乾の様子を伺う。
数分後、メールを送信し終わったのか、乾は手を止め顔を上げた。
そこで、ようやく手塚と目が合った。
一呼吸おいて、口を開く。
「ちょっと、お前の携帯を見せてもらっていいか」
「ん?いいよ。はい」
訝しがることもなく、あっさりと自分の携帯を、手塚に差し出した。
ずっと乾の手の中にあったせいか、温まっている。
実際に手にしてみると、二つ折りタイプとしては、ごく普通のサイズだった。
しいて言えば、手塚の使っているものよりも少し薄いくらいのものだ。
意味なく手の中で、色々角度を変えてみたが、当然大きさが変わることはない。
手塚は、目の錯覚だったのだと思い、すぐに乾に返した。
「ありがとう」
自分の携帯電話を受け取りながら、乾はごく控えめに微笑んだ。
「結構、軽いだろう?」
「え?」
一瞬、なにを言われたのかわからなくて、返事に詰まった。
すぐに、乾は自分が勘違いしたのに気づいたようだ。
「重さを確かめたかったわけじゃないのか」
「いや、重さじゃなくて大きさが」
「大きさ?」
きょとんとした顔で、乾が首を傾げた。
「お前が持っていると、小さく見えたんだ」
乾の携帯を指差すと、今度は、さっきよりも、わかりやすい笑顔を浮かべた。
「ああ、それは、俺の手が大きいからそう見えただけじゃない?」
「多分、そうなんだろうな」
乾に携帯電話を返したとき、手塚もそれに気づいていた。
携帯が自分の手から乾の手に移った瞬間、やっぱり小さく感じたからだ。
ああ、乾の手は大きいんだ──。
そう実感した。
それで、思い当たるいくつかのこと。
ときどき乾は、自分のことを細すぎるとか、華奢だとか言う。
実際は、乾の手が大きいから、そう見えているだけなのではないだろうか。
確かに、手塚の肩や手首は、簡単にあの手の中に簡単に収まってしまう。
でも、きっと手塚が特別細いからじゃない。
あの長い指と広い掌が、そう見せているのだ。
自分の目には、乾が言うほど細くも華奢でもない。
そんな風に言うのは、乾だけだ。
あの手じゃなかったら、きっとそんな風には言われない。
それ以前に、乾の手以外には誰にもふれさせたくない。
手塚を華奢だと思い込んでしまえるほど、大きな手を持つ乾だから、安心して自分を任せられるのだ。
痩せすぎだと言われるのは、本当は、あまり嬉しくはない。
でも、乾の前でだけなら、華奢だと言われてもいい。
乾の優しい手に包まれるのは、本当に気持ちがいいから。
「なにを、笑ってる?」
黙り込んだ手塚に、乾は静かな声で語りかけた。
レンズ越しに、何かを探るような黒い目には、きっと笑った自分が映っているのだろう。
「いや、なんでもない」
手塚は小さく笑ってから、自分の左手を、乾の右手の甲に重ねてみた。
熱くもなく冷たくもない温度が、心地良い。
「お前の手は、好きだ」
「手は、ですか」
「そうだ」
「ありがとう。素直に喜んでおくよ」
そう言って、乾はなにもかも全部わかっているような顔で、静かに笑っていた。
2010.07.08
てのひらサイズといっても、あくまで乾基準。