我侭

「お前の顔を見ているとイライラする」

わざと酷い言葉をぶつけたのに、怒るでもなく、むしろ僅かに笑ってみせる。
そして、静かな声で「困ったな」と呟く。
乾が、そういう奴だってことは、よく知っている。
だから、なおのこと腹が立つのだ。

自分達以外の部員はとっくに帰ってしまった。
二人きりの部室の中は、嫌味なくらい、しんとしている。
少しの沈黙のあと、先に口を開いたのは乾だった。
乾の声はとても落ち着いていて、よりこの場の静けさを強調する。
そういう類の声があることを、手塚は初めて知った気がした。

「理由を聞いてもいいか」
乾は右手にペンを持ったまま、手塚の顔をじっと見ていた。
「いつものデータ収集か?」
手塚国光は、面と向かって堂々と失礼なことを言う人間だ、とでも書くつもりか。
「いや、修復可能なことなら対処したいから」
口調や表情から推測しても、その言葉に裏はない。
それにまた、新たな苛立ちを覚える。

何から言えばいいだろう。
ランキング戦で下級生に負けて、レギュラーから落ちたこと。
それなのに、自分のことは後回しで、他の部員のサポートに一生懸命なこと。
やっとレギュラーに戻れば、今度は下級生とダブルスを組むと言い出したこと。
今だって、他の部員はとっくに帰宅したのに、こうやって自分につきあっている。
手塚がなにかを頼んで、乾が断ったことは一度もない。

いちいち挙げていったらきりがない。
どうしてそんなに、お人よしなんだ。
さんざん頼りにしておいて、そんなことを言う自分がおかしいとわかっている。
でも腹が立ってしょうがない。

お前は、強いはずだ。
三強と呼ばれたお前が、レギュラーから落ちるなんて許しがたい。
人の世話を焼く前に、自分のことを優先しろ。
もっと我侭を言えばいい。
ランキング戦で俺に向けた、あの顔をもう一度見せろ。

そう言えたら、どれだけ簡単か。
だがそれは、部長の自分が言っていい言葉ではない。
結局、説明できるようなものは、なにもなかった。
だから、一番簡潔な言葉を手塚は選んだ。

「全部だ」
「え?」
「お前の全部に苛立つ」
「そうか。それは、ますます……困ったな」
困ったと言いながら、乾は、ふっと口許を緩めた。
「でも、俺は好きだな。手塚のそういう、はっきりものを言うところ」

怒るでもなく、悲しむでもない。
ただ静かに微笑む。
そんな顔を、させたかったわけじゃないのに。

手塚は握っていたペンを置き、両手を顔の前で組む。
そこに額を押しつけるようにして顔を伏せた。
手に触れた、額が嘘みたいに熱い。
ものすごい勢いで、顔が火照ってきているのだ。

最悪だ。
乾の言葉には、深い意味なんかないのに。

「どうした?手塚。気分でも悪いのか?」
ガタガタと椅子を引く音が聞こえる。
乾が立ち上がろうとしているらしい。
「来るな」
傍に寄られたら、きっと耳が赤くなっているのがばれてしまう。

きつい声になってしまったが、乾は何も言わなかった。
今度こそ呆れたのかもしれないと思ったが、そうではなかった。
「まあ、嫌われるのも無理はない。手塚にしてみたら、毎日じっくりと観察されているんだ。鬱陶しいよな」
ごめん、と謝罪する声がした。
やっぱり乾は救いようのない馬鹿だ。

「でも、強すぎる宿命だと諦めてくれ」
「言ってない」
「ん?」
「嫌いだなんて言ってない」
そんなこと、口が裂けたって言うはずがない。
乾には、どうしてそれがわからないのか。

「さっき、イライラするって言わなかったか」
「イライラはする。でも嫌いではない」
「そうか」
「そうだ」

顔を上げると、笑う乾と目が合った。
「嫌われてなくて良かった」
普段は、ポーカーフェイスなのに、どうしてそんな無防備に笑うのか。
これだけ傍にいて、手塚の気持ちに、これっぽちも気づかない。
少し考えてみれば、わかるだろうに。

お前のデータ収集法には、重大な欠陥がある。
そう指摘したら、今度こそ乾は怒り出すだろうか。
乾のことだ。
また薄い笑いを浮かべて、どこが間違っているか教えてくれというのだろう。
手塚の好きな、優しい声で。

2008.05.29

中学生乾塚。というより、手塚→乾。
手塚が勝手なことをぬかしてます。きっと、これが初恋なんだよ。自分で自分をどうしていいのかわかんないんだよ。このまま突っ走って、立派な襲い受けになって欲しいです。どうでもいいけど、「襲い受け」が一発で変換されたよ。いい仕事するな、うちのIME。