乾の野望3
俺はよく人から「性質が悪い」と言われる。そりゃちょっとばかり、ペナルティとしてインパクトの強い野菜汁を無理矢理他人に飲ませたりはするけれど、それはあくまでみんなのためを思ってやっていること。
何も人を陥れることが目的なわけではない。
むしろ、「部員の鑑」だと感謝して欲しいくらいだ。
…というのは言い過ぎだな。流石に。
大体、本当に性質が悪いというのは俺みたいな奴じゃない。
もっと悪い奴がすぐ傍にいるのだ。
よく晴れた日曜日。
俺は朝から特製野菜汁作りに余念がない。
久々に手塚が泊まってくれた朝だ。
今日こそは何としてもこれを手塚に飲ませてやると、決意も新たに俺は頑張っていた。
過去の失敗を教訓に、俺はもう小細工はしないことにする。
極力手塚の口に合うように研究を重ね、それでいて俺ならではの工夫も忘れない。
そのこだわりを捨ててしまったら、これはもう『乾汁』とは呼べなくなってしまうから。
今日こそは、絶対に飲ませてみせる。
俺は勝利を確信して、一人微笑んだ。
「何を朝からにやにやしている?」
背後からの声に振り返ると、怪しむような表情を浮かべた手塚が立っていた。
「あ、おはよう」
「一人でにやついていると気持ちが悪いぞ」
挨拶の前にそれか、と思ったが口には出さない。
「朝食の…支度か?」
眉間に皺を寄せているところを見ると、そうではないことを予測しての台詞だろう。
愛用のミキサーがどんとテーブルの上に置いてあるのだから、当然といえば当然だ。
「ご覧のとおり。手塚用の特製ドリンクを作っていたところさ」
俺が言い終わらないうちに、手塚は露骨に嫌そうな顔になった。
まったくもって手塚は正直すぎる。
「まあまあ。今日のはいつものとはちょっと違うから」
今朝の手塚専用特製ドリンクは、柑橘系の果物を中心にした朝に相応しい爽やかなレシピだ。
ヨーグルトと粉末の青汁を入れたから色はちょっとアレな感じだが。
それでも黄粉や黒胡麻を入れなかっただけありがたいと思って欲しい。
あれを入れると味はともかく見た目は更にすごいことになっていたはずだ。
「味も効果も保証済みの俺の力作だ。さあ、飲んでくれ!」
俺は氷の入ったグラスにたっぷりと注いで、零さないように気をつけながら手塚に差し出した。
「これを…か?」
手塚はさも嫌そうに目を細め、手を出そうとしない。
俺がぐいっと前に差し出すと、とぷんと汁が揺れていい感じのとろみがついているのがわかる。
「悪いが、これは飲めそうにもない」
「手塚。これは見てくれは悪いが味は保証する。効能は言うに及ばずだ」
こんなことくらいで俺は引き下がらない。
一歩後ずさりする手塚に畳み掛けた。
「いいか?手塚。よく聞け」
俺は大きく息を吸った。
「まず、このヨーグルト。ヨーグルトに含まれる蛋白質は牛乳よりも消化吸収がいいし、カルシウムも豊富だ。そして乳糖・乳酸などの作用によって腸内の有用な菌をふやし、逆に有害な菌を抑制して、 免疫力を高める働きもある。そして柑橘類に含まれるビタミンCはカルシウムの九州をスムーズにしてくれる。ビタミンCにはコラーゲンを強くする働きもあり、成長期には欠かせない栄養素だ。更に青汁を入れることによって、ビタミンAをはじめ数々のビタミンを…」
反論のチャンスを与えてはなるものか。
俺は更にペースを上げる。
「マグネシウム、鉄分などのミネラル類も勿論忘れていない。強くしなやかな筋肉を作るためには欠かせないものだ。そのあたりも抜かりなくこの中に入っている。だから、安心してこの汁を、」
そのとき、黙り込んでいた手塚が目を伏せた。
なんだ?
俺が一瞬言葉を途切れさせると、手塚は目を開いた。
そして、俺に向かってにっこりと微笑んだ。
一体、何が起きたのかと思った。
「て…」
そこから先が言葉にならない。
事態が飲み込めない俺に更に追い討ちがかけられる。
「乾」
まだ僅かに笑顔を残した手塚が静かに口を開く。
「は…い」
「俺は飲まない。わかるな?」
手塚はあろうことか再び俺に微笑みかけた。
滅多に見せることの無い表情に、俺は悲しいくらいになす術がなかった。
心拍数が跳ね上がる自分が情けない。
「わかりました」
「わかればいいんだ」
手塚はそう言って、優雅な動きで俺に背を向けた。
「それはお前にやるから、全部飲め」
言うまでもなく、最終兵器を喰らった俺に逆らえるはずがない。
本当に『性質が悪い』っていうのはこういう奴のことを言うんだ。
俺はそう叫びたいのを堪えながら、手塚のために作ったはずの力作を咽ながら飲み干した。
いっきに飲むには、どうやら酸味が強すぎたようだ。
滲んだ涙はそのせいだと思いたい。
2005.5.16
以前「拍手」のお礼に入れていた短文の第3弾です。前の二つと同じ流れの馬鹿話。たまにこういうのが書きたくなるのです。
乾たんは「ちょっと俺に惚れられてるからと、人を舐めやがって!」と悔しがってますよ。でもその通りなので逆らわないです。あとから思い出しては「手塚、笑うと可愛いなあ」とにやついてます。この手塚馬鹿め。