■Specific medicine2
それから浅い眠りと深い眠りを交互に繰り返し、夕食を食べる頃には熱はかなり下がっていた。
「7度5分か。まだ少しあるな」
乾は体温計を睨んで、ぼそりと呟く。
「でも大分楽にはなった」
もう一度薬を受け取り、水と一緒に飲む。 さっきまで水分を飲み込むのでさえ苦しかったのが、今は多少喉は痛いが苦労せず飲み込める。
「この分だと明日には下がりそうだな」
「ああ。悪かった。心配掛けて」
乾は黙ったままで、手塚が横になるのを手伝った。

「俺、今日はリビングのソファで寝るから。手塚はゆっくりここで寝て、風邪を治してくれ」
「ソファじゃ疲れるだろう」
乾はふっと笑い、丁寧に毛布を掛けなおす。
「平気だよ、一晩くらい。あのソファ、背を倒せばベッドになるから」
「悪いな」
「気にしないで」

乾の言っていることは正しい。
下がったとはいえ、また微熱のある相手が隣りで寝ているのは乾だって鬱陶しいだろうし、お互いが気を使ってしまい、よく眠れないだろうとも思う。
頭ではわかっていても、二人でしか使ったことのないベッドにひとりで眠ることに戸惑いを隠せない。
きっとそれが顔に出てしまったのだろう。

「手塚が眠るまではここにいる」
手塚は頷くことが出来ずに、ただ目を閉じた。




昼間寝すぎたせいか、夜中になって目が覚めた。
瞼を開いてすぐに身体がずいぶんと軽くなっていること気づいた。
喉の腫れもあまり感じないし、関節の痛みも消えている。
どうやら熱は引いたようだ。

部屋の中は完全に暗くはしていない。
手塚は毛布を捲ると、ゆっくり身体を起こしてみた。
大丈夫。ちゃんと起きれる。

それからそっとベッドから降りてみた。
少し身体がふらつくような感じはあったが、これなら歩けると確信した。
枕元の時計は午前1時を回っていた。
リビングの方からはかすかにテレビの音が聞こえてくる。
手塚はベッドから抜け出して、静かにドアを開いた。

リビングは少し照明を落としてはいたが、テレビはつけっぱなしだった。
ソファの背を倒してフラットにした状態で乾は眠っていた。その顔には眼鏡が掛けられたままだ。
外してやろうかと思ったが、触ると起きてしまいそうだったのでそのまましておく。
テレビを消そうとリモコンを探したが見当たらず、自分でテレビの前に行ってスイッチを消した。

その途端に、乾の声がした。
「あ、ごめん。煩かった?」
「いや、そういうわけじゃない」
乾は欠伸をひとつしてから、身体を起こした。
「起きてて大丈夫か?」
「ああ、もう熱は下がったみたいだ」
「ほんとかな。ちょっと来て」
乾の隣りに歩いていくと、手首を捕まれた。
そしてそのまま軽く引き寄せられ、ふわりと包まれるように乾の腕に抱かれた。

「ああ、確かに下がってるね」
「お前の熱の測り方は変わっているな」
「これが一番確実。もっともこの方法が有効なのは手塚だけだね」
乾は一度くすりと笑ってから優しい声で言った。
「良かった。熱が下がって」
「せっかくの休日だったのに、悪かった」
「いや、いいんだ。俺のせいかもしれないし」
「どうしてだ?」
まだ少し力が入らない手塚の身体を乾はしっかりと抱きとめる。

「ほら、俺が捻挫したとき泊り込んでくれたろう?あのときの疲れが出たのかなと思って」
「いつの話をしてる。あれはもう一ヶ月以上前のことだ」
「でもさ。あのあと、手塚はあまり体調が良くなかったし」
確かに良く眠れない日がしばらく続いたことはあった。
だが、それから助け出してくれたのはお前じゃないか、と手塚は思った。

「それは関係ない。あれはもう解決したことだ」
「そうか。じゃあ、逆かな」
「逆?」
「うん。安心して、気が緩んだのかもね」
それならありえる気がした。
日本に戻り、こうしてまた乾の傍に来て、やっと自分がどうしたいかみつけられて。
半年以上の時間を掛けて、ようやく肩の力を抜くことが出来たのかもしれない。
勿論、そう出来たのは乾がいたから。

乾は手塚の肩を抱く手に少し力を込めた。
負担にならない程度に気をつけているのもちゃんと手塚には伝わっていた。
「こっちに戻ってきてからずいぶん痩せただろう?」
「そんなことはない。せいぜい2,3キロだ」
「嘘だね。間違いなく5、6キロは落ちてる」
ばれていたかと、手塚は苦笑した。
「俺がわからないわけないよ。手塚自身より、はっきりわかる」

それはその通りだろう。
この身体を隅々まで知っているのはお前しかいない。
どんなに正確な数字を示す計りより、その腕は自分の何もかもを覚えているはずだ。

乾の身体を抱き返すと、「手塚」と名前を呼ばれた。
顔を上げると、唇が近づいてきてあっという間に塞がれた。
「風邪が移るぞ」
「俺には移らないよ」
「どうしてだ」
「身体鍛えてますから」
「悪かったな、鍛え方が足りなくて」
二人でクスクス笑うと、乾はまた軽いキスをした。

「そろそろベッドに戻った方がいいよ」
「熱は下がった。お前も来い」
「俺はここでいいよ。ひとりで気兼ねなくゆっくり寝てくれ」
「いや、駄目だ。お前も一緒だ」
乾はにやりと唇の端を上げた。

「何?俺がいないと寂しい?」
「そうだ。ひとりで寝るのはもう飽きた」
そう答えると、乾は目を見開いた。
「…どうした?熱のせいでおかしくなったか」
「そうかもしれない」
乾は肩を揺らしてひとしきり笑った後に言った。

「急いでここを片付るけるから、先に行っててくれ」
「わかった」
「すぐ行くから。また熱が上がらないうちに」
手塚は、まだ楽しげに笑う乾を置いてベッドに戻り、乾のスペースを確保してから身体をゆっくりと沈ませた。


わかってしまった。

熱にうなされて目を覚ました瞬間、真っ先に探したときの気持ち。
そして、その相手がいないと気づいたときの気持ち。
そのあとで、ちゃんと乾が自分の目に映ったときの気持ち。

子供みたいだと笑われても仕方ない。
欲しいものはどうしたって欲しい。

だから乾にそう言おうと思う。

水とか、空気とか、食物とか。
そんな生きていくために必要不可欠なもの。

俺にとってのお前は、それに近い。
だから離れていることは不可能なのだ。

そう言っても、あの男は熱にせいにしてまた笑うのだろうが。
2004.0709
風邪引き手塚完結。

風邪引きネタは、実は禁じ手にしておりました。プロ・アマ問わずよくあるネタかなあと思って。でもあえてやるのもいいかとチャレンジしてみました。ええ、楽しかったです(笑)。

乾は風邪を引いた人には優しいと思います。甘やかしたり世話を焼くのが好きなので、寝ずに看病するのも厭わないでしょう。逆に手塚は厳しいと思います。勿論ちゃんと看病はしてくれますが、まず説教から入ります。健康にはもっと気をつけろとか、風邪を甘く見るなとか。そして超シンプルな塩味だけのお粥を作ってくれそうです。手塚の作ったお粥食べたいなあ…。
乾は鍋焼きうどんとか、おじやとか、頼めば何でも作ってくれそう。でも汁も待っていそうですね。熱で味がわかんないなら怖くは無いぞ。

この話は誕生日話に繋がる予定。あと一週間で書けるのだろうか…。

タイトルは「特効薬」という意味です。特効薬=乾、ですね(笑)。