■ 01.Camera Obscure
新しいカレンダーを手に入れると、まず新しい年の10月7日は何曜日なのかを確かめる。
そういう癖がついてから何年か経った。
それはそのまま俺の隣に手塚がいるようになった年数でもある。
ずっと自分の誕生日なんてどうでもいいと思っていたが、今は手塚の誕生日を調べたあとで6月3日の曜日も確認する。
俺が10月7日を特別な日にしているように、俺の生まれた日を大切にしてくれる人がいるから。
今年の俺達はどうやらゆっくりとお互いを祝ってやれそうだと、年の初めに思ってからもう半年が過ぎた。
ここのところ仕事は落ち着いていた。
一週間連続でほぼ残業がなく、今日も日があるうちに帰宅した。
時間をかけて夕食を作り、手塚とふたりゆっくりとそれを味わった。
金曜の夜だからといって外に出かけたりせず、呑気に穏やかに時を過ごす。
それは俺にとって最高の贅沢だ。
「明日の予約は何時だった?」
ソファに深く座って雑誌をめくっていた手塚が顔を上げた。
俺も同様にソファの背に身体を預け、そろそろテレビも飽きてきたなと思っていたところだった。
「11時。写真を撮り終わったら食事でもしよう」
「そうだな」
手塚は雑誌を閉じて、それを脇にあるラックに差し込んだ。
明日の土曜日は俺の誕生日。
一年前から、俺達はその日には一緒に写真を撮ることに決めていた。
ただのスナップ写真じゃない。
きちんと正装して、写真館に行き、二人並んで撮ってもらう。
そういう決まりになっていた。
運よく今年の6月3日は土曜日だったので、時間を気にしなくていい。
そのまま二人でどこか美味しいレストランにでも行こうと、早い時間に写真館に予約を入れた。
食事に行くなら夜でもいいのだが、そのあとを考えると自宅にいた方が何かと都合がいい。
そう思って予定を午前中にした事は手塚には言ってない。
「あと少しだな、日付が変わるまで」
手塚は右腕にしている時計を見ていた。
「残り5分てとこ?」
「そんなものだ」
正直、単に1歳年をとるというだけのことで、自分の誕生日に特別な思いはない。
もう少し年齢が上になるとまた違ってくるのかもしれないが。
だが、こうやって自分をこの世に送り出してくれた両親には心から感謝している。
そうじゃなければ、今ここで手塚の隣にいられはしなかったのだから。
手塚は何度か右の手首とテレビを交互に睨んでいたが、そのうち時計だけをじっと見つめていた。
そして、「あと五秒」を俺に告げてからそのままの姿勢で動かなくなった。
「おめでとう」
落ち着いた声でそう言われた。
いつの間にか、視線はまっすぐに俺を見ていた。
「ありがとう」
手塚の口元に浮かんでいる微笑はとても穏やかで、見ている俺までも同じように笑いたくなる。
俺の生まれた日にそんな顔を見せてくれることが、ただ嬉しかった。
「待っていろ」
手塚は静かに立ち上がり自分の部屋のドアの中に消えると、すぐにリボンのかかった箱を手に戻ってきた。
「良かったら明日着てくれ」
手渡された箱は軽かった。
「開けていい?」
「ああ」
着てくれというからには、服なのだろう。
箱を開けてみると、思った通りシャツとネクタイが入っていた。
シャツは真っ白ではなく、よく見るとごく薄く薄く緑色のストライプ柄だった。
ネクタイも一見すると無地だが、近くで見ると細かい柄が入っている。
派手なものを好まない手塚らしい選択だ。
もしかしたら、俺じゃなくて手塚の方が似合うかもしれない。
「ありがとう。ありがたく明日着させてもらうよ」
顔を上げて礼を言うと、何故だか手塚は片手を背中に隠して、困ったような顔をしていた。
「何?変な顔して」
怒られるのを覚悟して言ったのだが、手塚はそんなことよりも気にかかることがあるのか、俺の失礼な発言には無反応だった。
「実はな、もうひとつあるんだ」
「え?プレゼントが?」
「プレゼント、というほどのものでもないんだが」
手塚には珍しく歯切れが悪い。
それが逆に俺の好奇心を煽る。
「俺のために用意してくれたんだろ?貰うよ」
そう言って手を出すと、観念したように手塚は背中に隠してあったもうひとつの箱を俺に差し出した。
一応ちゃんとリボンはかかっている。
「開けるよ」
と一言断って、俺はすぐに箱を開けた。
だが、開けてもそれが何かはわからなかった。
黒い厚紙と何枚かの紙切れ。
入っていたのはそれくらいだ。
「…これ、何かな」
「ピンホールカメラのキットだ」
「え?」
驚いて箱の中身をもう一度良く見ると、そこには説明書らしき紙が一枚入っていた。
「本当だ」
ざっと目を通したその紙には、これが厚紙で出来たピンホールカメラのキットであることと、組み立て方の説明が書かれていた。
「お前はこういうのが好きか思って、つい買ってみたんだが」
いざ買ってしまってから、あまりに子供じみていたかと渡すのが不安になったと手塚は言った。
その照れたような顔をみて、俺はつい笑い出してしまった。
「うん。大正解。こういうの、俺ものすごく好きだよ」
「そうか」
声は落ち着いているが、顔は明らかにほっとしている。
手塚は本当に嘘を付けない人間なのだ。
「子供の頃、お菓子の空き箱で自分で作ったこともあるくらいだよ」
これは手塚を安心させるために言ったわけではなくて、本当のことだ。
レンズも使わずに写真が撮れるというのが子供心に不思議でたまらなくて、どうしても自分で試したかった。
あのときのわくわくした気持ちがよみがえってきた。
自分はまるで興味がないものなのに、俺が好きそうだというだけでこれを選んでくれたことがくすっぐたいほどに嬉しかった
「さっそく明日作ってみるよ。そしたらさ、このカメラでも写真を撮ろう」
「本当にこれで撮れるのか?」
「勿論。でもこれはセルフタイマーなんてないから、一緒には撮れないけどね」
ざっと原理を説明したが、きっと手塚にはこれがどんな写真が撮れるか想像は付かないのだろう。
不思議そうな顔で俺の話を聞いている手塚は、子供みたいな表情をしていた。
「ピンホールカメラで撮った写真は独特なんだ。きっと手塚も気に入るよ」
フォーカスというものが存在しない、不思議な世界に手塚を焼き付けるのが今からとても楽しみだ。
黙って頷く手塚の肩を抱いて、そっと引き寄せた。
「ありがとう。本当に嬉しい」
お礼代わりのキスをすると、手塚は目を細めて薄く微笑んだ。
「無駄にならずに済んでよかった」
手塚がくれるものは、どんなものであろうと無駄であるはずがない。
こうやって、俺に体重を預けてくれる事だって、どれほど嬉しいか手塚はわかってないのかもしれない。
笑ったままの形の唇から皮膚の薄い首筋をたどり、開いた胸元にキスをすると手塚は少しからだを捻った。
「明日は写真を撮るんだからな。跡をつけるなよ」
「わかってるよ。ネクタイを締めたら隠れるところにしかつけない」
「そういうことじゃなくて」
抗議をもう一度唇へのキスで塞ぎ、片手で手塚のボタンを外す。
半分ほど外したところで息が続かなくなった。
手塚は少し潤んだ目で俺を見上げた。
「乾」
「ここでは嫌だ、かな?」
「わかっているなら、やるな」
「ここじゃなきゃいいってことだよね」
「わかっているなら、聞くな」
俺を睨みつけたあとで、手塚はくすりと小さく笑った。
「じゃ、ふさわしい場所に移動する?」
「ほどほどにしておいてくれ。寝過ごしたら困る」
「自信はないけど努力してみる」
身体を起こすのに手を貸すと、手塚は腕を絡ませるようにして俺に抱きついた。
「明日の夜なら好きにさせてやる」
「それもプレゼントのうち?」
「そうだ」
肯定する声は低くて甘い。
今年の誕生日に限って、手塚はずいん豪華な贈り物を俺にくれるつもりらしい。
それを楽しみに、今日のところは大人しくデザートだけを頂こうか。
だが、俺の首に腕を回して挑発するように笑う顔を見ていると、どうも逆効果になりそうな気がしてならないのだが。
2006.06.03
実はですね!ピンホールカメラを買っちゃったんです。クマの形の(笑)。まだ組み立ててないんだけど。それを見てたら乾はこういうのが好きそうだなあと思ったの。
だから最初は仮タイトルが「ピンホール」でした。
「Camera Obscure」は「暗い部屋」という意味。要するに暗室です。暗い部屋でやることは現像だけじゃないよってことで。
乾、お誕生日おめでとう!大好き!
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