■5センチ
二人きりで過ごす時間が増えてから、手塚にも「意外な一面」があるのだということを知った。
少し考えれば当たり前のことなのだけれども、それまで俺が勝手に頭の中で手塚を理想化していたせいもあって、最初の頃はずいぶんと驚いた気がする。
長い時間一緒にいれば、年相応の子供っぽいところや、いかにもO型的な大雑把さが少しずつ見えてくる。
幻滅するなんてことはない。
俺にとって、それはすごく新鮮で楽しい発見だった。

部活が終わった後、手塚が日誌をつけている傍で、俺は自分のノートを広げペンを走らせる。
俺達以外は全員帰ってしまったから、部室の中はしんとしていた。
手塚は自分の作業に集中しているので、俺の手元を覗き込んでくるような真似はしない。
きっと、データを書き込んでいるのはポーズだけで、実はこっそり手塚の様子を観察しているとは思ってもいないだろう。

いつもは、周りにいる人間を嫌でも緊張させてしまうようなオーラを漂わせているけれど、目の前にいる手塚は、とても静かで落ち着いている。
時々ペンを止めて小さく首を傾げ、それからまた几帳面な文字を丁寧に書き込んでいる。
真面目な手塚は、単なる部活の日誌でさえ手を抜くことを知らない。
何度も文章を確かめながら、時間をかけて書いていく。
そういう融通のきかなさが、いかにも手塚らしくて、好きだった。

やっと全部書き終えたのか、手塚はぱたりと日誌を閉じた。
「終わった?」
「ああ。ずいぶん待たせてしまったな」
「気にしなくていい。俺も今日のデータをまとめておきたかったから」
別に嘘は言っていない。
ただ、このデータの殆どはテニスには関係のないというだけだ。

「そうか」
ごく短い返事だが、ほっとした様子が声の調子でわかる。
口元もほんの僅かだが、確かに綻んでいる。
これを笑顔だと気づくのは、きっと手塚の家族と俺くらいだろう。
「じゃあ、帰ろうか」
声を掛けると、手塚は小さく頷いて立ち上がり、和らいだままの表情でゆっくりと俺に背中を向けた。
長い髪の陰に、薄い唇が見え隠れした。
まったく、手塚は無防備すぎる。

「手塚」
「ん?」
振り向いた手塚の顎をつかんで上を向かせ、何も言わせずに、すぐ唇を合わせた。
反射的に手塚の体が逃げる。
それは予測の範囲内の行動で、俺はすかさずに手塚の腰に手を回し、動けないようにしてやった。
それでもしばらく身体を離そうともがいていたが、そのうち躊躇いがちではあったが、自分から俺の制服の背中のあたりを握ってきた。
こうなってしまえば、もう何の遠慮もいらない。
何度か角度を変えて、長い時間、手塚とのキスを味わった。

唇を離すと、すぐに手塚は俯いてしまう。
まだ左手は俺の背中に回ったままだが、顔を見ようとはしない。
「いきなりは、やめろと前から言ってるだろう」
口調は怒っているようだが、これは単なる照れ隠しなのは、わかっている。
「ごめん。隙だらけだったんで、ついね」

手塚は一度上目遣いに俺を睨んだが、すぐにまた下を向いてしまった。
キスすることには少しずつ慣れても、直後には顔を見られたくないようだ。
俯く手塚の耳や項が、うっすら赤くなっていた。
普段はあまり手塚との身長差を意識することはないのだが、こうして見ると意外と5センチの差は大きいのだなと思う。

見下ろす位置にある手塚の首や肩の細さに、今更のように気づいた。
何年も見つめてきたはずなのに、ほんの少し目線を変えるだけで、今まで見えなかったものが見えることもあるのだ。
自然と浮かんでくる俺の笑みに、手塚はまだ気がついてはいなかった。

「手塚って、つむじがふたつあるんだな」
「え?なんだって?」
「つむじだよ、つむじ。ふたつある」
咄嗟に顔を上げた手塚は、心底驚いた顔をしていた。
「俺の…か?」
「そうだよ。知らなかったの?」
「知らない。誰にも言われたことが無い」

どうやら手塚は、本当に知らなかったらしい。
急に指摘されてもすぐには信じられないようで、半信半疑な顔で俺を見ていた。
「嘘じゃないだろうな?乾」
「そんな嘘ついてもしょうがないよ」
ほら、と頭の天辺を軽く突くと、手塚は慌ててそこを指で確かめていた。

必死になっている手塚の顔は、さっきよりもずっと無防備で可愛くて、俺はもう一度その唇にキスしたくなった。
2007.02.23
5センチの差は萌えます。そして、つむじが2個ある手塚は可愛いと思う。
そんな私は3個あります。本当です。