COOL MINT

今日は金曜日。
図書委員としての面倒な当番は、とりあえず今日で終わりだ。
越前は、返却された本を何冊も抱えて、本棚へと移動する。
入学して数ヶ月の越前には、どの本をどのあたりに戻せばいいのかが、まだ完全には把握出来ていない。
分類番号だけを頼り、にのろのろと本を戻していく。

何冊目かに手にした本は、自分の身長では届かない位置に収めなくていけないものだった。
踏み台を持ってくるのが億劫で、なんとか手を伸ばしてみる。
だが、いくら試してみても、やはり駄目だ。
仕方ないと諦めたとき、不意にすぐ横から声を掛けられた。

「貸して」

見上げると、そこに乾が立っていた。
いつのまに?
越前は少し驚いて目を見開いた。
こんなでかい人が、ここまで近づくまで気がつかないなんて。

「越前には無理だ。俺に貸して」
「いいっすよ。踏み台持ってくるから」
「いいから」
差し出す手に、素直に本を渡すのがなんとなく面白くはなかったが、そうまで言われると渡さないわけにはいかない。
一応、相手は同じ部活の先輩だ。

「じゃ、お願いします」
「うん」
恐らくは図書委員の自分より、乾のほうが、この場所に詳しいのだろう。
乾は手渡された本を迷うことなく、空いている隙間に、すっと納めた。
嫌でも、その身長差を見せ付けられる。

「他には、ないか?」
乾は、越前の足元に積まれた本を、見ている。
「いや、あとは自分でやるからいいっす。ありがとうございました」
「手伝うよ」
「いらないっす」
自分を見下ろす視線が、どうにも気になって、越前は目を反らした。

「越前」
「はい?」
顔を上げずに返事をする。
「お前、昼休みに俺と手塚が一緒にいるところ見てただろう?」

ぎくりとした。
思わず顔を見上げてしまうと、にやりと笑う乾と目が合った。
度の強い眼鏡の奥の瞳は、これまでに自分が見たことのあるものとは違う。
そして、あの日手塚に向けていたものとも、まるで違っていた。
少しだけ、乾を怖いと思った。

「気づいてないと思ってたか?」
「何が、ですか」
「見たんだろう?俺と手塚が何をしてたか」
背中を丸めて、越前の耳元に顔を近づけて、乾は言った。
その声は低いけれど、非難めいたものではない。
むしろ、どこか楽しそうだ。

「越前の視線は強烈だから、わかっちゃうんだよね」
くすっと乾は笑う。
「…見たくて見たんじゃないっすよ。勝手に目に入ってきたんです」
あの日、不二にした言い訳と同じ言葉を口にする。
「それは失礼したね」
乾のにやにやと笑う顔が不愉快で、その顔を思い切り睨みつけた。

「で?なんすか?俺に何が言いたいんですか。俺は言いふらしたりしないっすよ」
「うん。越前は、そんなことはしないと思ってるよ。でも一応ね」
乾は、越前の足元の本を、一冊ずつ拾い上げる。
「手塚の迷惑になるような真似をしたくないんだ」
「…じゃあ、あんな場所で、やらなきゃいいじゃないっすか」
「正論だ」
拾った本を越前に渡しながら、乾は薄く微笑む。

「わかってても、ついそうしてしまうこともあるんだ」
今の乾は目は、この間部長に向けられていたときと同じだと、越前は気づいた。
きっとこの人は、部長のことを考えてるときだけ、この目になるんだ。

「悪かったな、変なことを言って」
「いや、いいっす」
「じゃあ、放課後な」
帰りかけた乾はふと足を止めて、引き返してきた。
そして越前の耳元で、小さな声で言った。

「越前は不二とキスしなかったのか?」
「はあ?なんで俺が」
思わず大きな声で反論すると、乾はさもおかしそうに肩を揺らしなが、ら人差し指を自分の唇の前に立てた。

「どうして、そうなるんすか」
「どうしてだと思う?
意味ありげに撓む目は、誰かと似てる。
顔なんかちっとも似てないのに。

返事をしない越前を気にした風もなく、乾は自分のポケットから何かを取り出した。
そして、越前の抱えていた本の上に、そっと置く。
それは見覚えのある緑色の紙にくるまれた、一枚のガムだった。

「何、これ」
「口止め料」
「安い口止め料っすね」
越前の憎まれ口に、乾は、また楽しげに笑った。

「不二と二人きりで会うときには、先にこれを噛んでおくといい」
「何でですか」
「エチケット」
乾はそれだけを言うと、ひらひらと大きな手を振ってから図書館を出て行った。

馬鹿じゃないの?あの人。
俺が不二先輩とだなんて、絶対ありえないのに。
もらったガムを手にすると、ふわりとミントの香りがした。


なんとなくだけど、不二先輩は、この香りをきっと好きだろうと思った。


2004.08.26

「3年生」の続きです。リョマさんを構う乾ってのが好きなんです。

このリョマは受けっぽいな(笑)。