三年生

青学中等部の図書館は、かなり広い。
校舎とは別棟になっていて、細い渡り廊下を通るか、わざわざ一旦中庭を横切るようにして行かなければならない。

その日、図書委員の越前は、昼休みの当番に当たっていた。
急いで昼食を済ませると、すぐに図書館に向かう。
越前の教室からなら渡り廊下を通る方が近い。
いつものようにそこをを抜けようとしたときに、窓の向うに見覚えのある後姿を見つけた。

あ、乾先輩。

校舎の周りには、越前が名前を知らない木が何本も植えられている。
丁度その木の間に乾が立っているのが見えた。
そこは渡り廊下と校舎に挟まれた狭い空間で、ちょっとした死角になっている。
並べて植えられた木がいい感じの日影を作り、春頃には、よくそこで昼寝をしたものだ。
自分にとっての特等席みたいな場所に乾がいることが気になって、越前はなんとなく足を止めた。

何をしているのだろう。

乾は何かを手に持っていて、視線が一定の位置から動いていない。
どうやら誰かが近くにいるようだ。
越前は、一歩下がってみた。

思った通りだ。
さっきまでの越前の場所からは見えなかったが、乾のすぐ隣りには、やはり人影があった。
乾とそう変わらない長身に、乾よりはやや華奢なシルエット。

部長?

間違いない。
視力のいい自分が、あの二人を見間違えるはずもない。
あれは手塚部長と乾先輩だ。

なんで?と越前は思った。

考えてみればおかしいことではない。
同じ学年で、同じ部で、同じレギュラー同士。
その二人が、昼休みに会っていても、別に不思議でもなんでもない。
だが、それなのにどこかおかしい。
その違和感に越前は戸惑った。

なぜだろうと考えてみる。
その間も、二人は乾のノートをかわるがわる覗き込みながら、何か話しているようだ。
持っているノートは、いつも乾が持ち歩いているノートとは、少し違って見える。
何やってるんだろう?と思った後でやっと気づいた。
違和感の正体に。

それはあの二人の表情だ。
乾は越前にとっては「何を考えてるかわからない、ちょっと変な人」だ。
後輩への面倒見もいいし、自分にも何かと声を掛けてくれる。
そんなときでも、乾はいかにも一癖ありそうな笑いを浮かべている事が多い。

それに比べると部長はもう少しわかりやすい。
とにかく冗談の通じないえらく頭の固い人。
この人が笑った顔なんか一度も見たことがないし、見たいとも思わなかった。

だけど。
今、越前の目に映る二人は全く違っている。

乾は笑っている。
越前の知っていた意地の悪そうな笑い方なんかじゃなく、もっと静かな笑い方。
部長は笑ってはいない。
でも、その目は、いつもとは別人みたいに穏やかだ。

時々ノートから目を離すと、二人の視線が合う。
その互いを見つめる表情を見ていると、越前はちょっと落ち着かない気分になる。

なんだってあんな目で見詰め合ってるんだ、あの二人は。
向うがこっちに気づく前に通り過ぎてしまおうと思ったとき、不意に乾の顔が手塚の顔に近づき、ふっと唇と唇が触れた。

ほんの一瞬。

すぐに乾は唇を離し、また静かな目で手塚を見ている。
口許がかすかに笑っているようだ。
手塚も別に怒るでも慌てるでもなく、穏やかな表情のままだ。
ただ、少し眩しげに目を細めている。

何、今の?

通り過ぎようと思っていた足は、完全に機能を停止してしまった。
今見たことの意味を理解出来ずに、頭が混乱しかけたときに背後から声がした。

「覗きはよくないよ、越前」

咄嗟に振り向くと、自分のすぐ後ろに不二が立っていた。
いつもと変わらない、優しげな笑顔を浮かべて。

「別に覗いてたわけじゃないっすよ。勝手に目に入ってきただけ」
「その割には、ずいぶん長いことここにいたみたいだけど?」
にっこりと笑うその顔にカチンときた。

「不二先輩こそ、俺のこと観察してたんじゃないすか。趣味悪いっす」
「あまりに君が熱心に見てるから、つい気になって」
不二は、ふふと小さく笑い、越前の隣りまで歩いてきた。

「あの、不二先輩」
「ん?」
「乾先輩と部長って」

不二は、その先を遮るように、口を開いた。
「君の聞きたいことは予想がつく。でも僕からは何も言えない。……わかるよね?」
普段より少し低い声に、越前は黙って頷いた。

隣りに立つ、不二のやや薄い色の瞳は、窓の向うに向けられている。
「君がそういう奴じゃないって事は知ってるけど、一応言っておく。今見たことは他言無用」
「わかってます。……つか、話したって誰も信じるわけないっすよ」
「…確かに」

不二は楽しげに、クスクスと笑う。
肩が揺れ、さらさらとした癖のない髪も一緒に揺れる。
「あの二人がキスしてたなんて言っても誰も信じないね」
不二は目を細めて越前を見た。
その表情はどことなく猫っぽい。

「僕と君でも、誰も信じないね。きっと」
「は?」
思わず聞き返した越前に、不二は微笑みかける。
どこかで見たような顔つきで。

「僕とキスしてみる?越前」

返事をすることを一瞬忘れた。

「冗談だよ」

不二はふ、と息を洩らすように笑った後で言った。
「早く図書館行ったほうがいいよ。昼休み、終わっちゃうよ?」
そして越前の前で、くるりと方向を変えて歩き出した。

「やな冗談」
越前は小さく呟くと、もう一度窓の外を見た。
そこにはもう、乾も手塚も居なかった。

すっかり遅くなった当番に向かいながら、越前は思った。
青学の三年生は、変な人ばっかだ。
でも他の学校を知らないから、その判断はフェアじゃないかもしれないけど。

だけど、恐らく他の学校には冗談で「キスしよう」なんていう先輩はいない。
それだけは、確かだ。


2004.08.06

この年代での2歳の差はでかいよ、越前君。特に乾や不二様相手じゃね。
テニス以外の部分では越前君は普通に年相応の男の子だといいな。

これはイメージとしてはランキング戦後で、乾はレギュラーに復帰した頃って感じです。「空の青 水の青」のシリーズの二人だと思ってくださってもオーケーです。

2万ヒット記念ということで、いつもと違う視点の乾塚を書きたかったんです。なんとか4人を出したかったので、叶って嬉しい(笑)。
2万ヒットありがとうございます。FDLですので、こんなもんで申し訳ないですが、ご自由にお持ち帰りください。

2009.07.27 一部修正