よりリラックスできるように手塚とふたり、2杯目のコーヒーを持ってソファに移動した。
ソファに深く座ってコーヒーを味わっている手塚に、乾は用意してあった誕生日のプレゼントを手渡した。
「誕生日おめでとう」
中を見なくて、これが何か手塚は知っている。
毎年贈っている10月始まりの手帳だ。
去年からは、自分も同じものを使用していた。
「ありがとう」
手塚は持っていたカップをローテーブルの上に置き、両手でプレゼントを受け取ってくれた。
「開けていいか?」
「もちろん」
チョコレートのような色の包装紙に包まれているのは、真新しい手帳だ。
今年もまったく仕様は変っていない。
見慣れた手帳を手にした手塚は、ぱらぱらとページをめくっている。
「あと、これも使ってくれると嬉しい」
ごくシンプルな紙の袋に入ったプレゼントを、手塚の前に差し出した。
手塚は、今度は目だけで開けていいかと尋ねてきたので、こっちも黙って頷いた。
簡単な包装なので、すぐに中身が現れた。
「ペンケースか。シンプルでいいな」
手塚の言う通り、袋の中身は革のペンケースだった。
マチのない差し込みタイプで、ふたはかぶせ式。
細めのペンなら3本、万年筆なら2本は入れられるはずだ。
新しいヌメ革は、明るい色をしていた。
「使えそうか?」
「ああ。これならかさばらないし、手帳と一緒に持ち歩けそうだ」
「良かった。実はそれ、俺が作ったんだ」
「え?手作りなのか?」
手塚が驚いた顔を乾に向けた。
そういう顔を見たくて頑張ったので、つい笑ってしまった。
「うん、そう」
手塚は、ペンケースを顔に近づけてじっくりと細部を見ている。
手作りらしい部分を探しているのだろう。
「あんまり細かくチェックしないでくれ。下手なのがばれる」
「そんなことはない。言われなければ、気付かなかったろう。お前は器用なんだな」
「いやいや。実はそこに至るまで長い道のりがあったんだ」
「そうなのか」
「試作品なんて、何個作ったか忘れたくらいだよ」
本当は、作った個数はちゃんと覚えている。
ギリギリ二桁に行かなかったという数だ。
「本当は自分で作るつもりじゃなかったんだ。手塚の手帳カバーに似合いそうなペンケースを探しても、これというのが見つからなかったから、ないなら自分で作ろうかなんて思っちゃったんだな」
「すごいな。俺なら、自分で作ろうという発想は出てこない」
「まあ、考えが甘かったってのは、やってみたらすぐにわかったよ」
簡単な構造のものなら、初心者でもどうにかなるだろうと高をくくっていた。
だが、裁縫の心得もほとんどなく、ましてや革を扱ったこともない自分には、まっすぐ縫うだけでも大変だった。
途中で、こんなことならちゃんとした工房に頼めばよかったと、本気で後悔した。
しかし、道具や材料も買い込んでしまったこともあり、ほとんど意地で仕上げたようなものだ。
だが、最終的には作るのが面白くなってきたし、できあがった物に愛着もわいた。
良く見れば、やっぱり素人の仕事とわかる仕上がりだが、初心者としては合格点はもらえるんじゃないかと自分では思っている。
「これが完成品1号というわけか」
その通りだ。
やっとコツもつかめてきたから、次に作る物はもう少し上手く作れるだろう。
「いつか、もっと立派なのを作り直すから」
「十分立派だ。俺はこれがいい」
手塚はきっぱりとした口調で言い、乾の作ったペンケースの表面をゆっくりと撫でた。
お世辞だとわかっても、やっぱり悪い気はしない。
「それなら別な物に挑戦してみようかな。完成したらもらってくれるか?」
「喜んで」
「そうか。じゃあ頑張ってみる」
「ああ。楽しみにしている」
手塚はペンケースを手にしたまま、静かに笑ってくれた。
「自宅に帰ったら、これにお前からもらった万年筆を入れさせてもらう」
万年筆を飛行機に持ち込むと、まれにインク漏れをすることがあるらしいので、長旅のときは用心して持ち歩いていないらしい。
「大事に使わせてもらう」
「もう手塚の物だ。好きに使ってくれ」
どんな道具も丁寧に扱う手塚がそう言うからには、本当に大事にしてくれるはずだ。
手塚が持ち歩いている手帳カバーを見れば、それがよくわかる。
革製の手帳カバーは、光沢のある飴色で、表面には大きな傷もなく滑らかだ。
ヌメ革は経年変化で色が変っていくものだが、手塚のそれは、ただ時間を経たからそうなったという色合いではない。
大切に扱いながらも十分に使い込み、丹念な手入れを重ねたことでこんな綺麗な飴色になったのだ。
手帳ひとつ見ても、手塚がどんな人間かが伝わってくる。
今日贈ったペンケースも、いつか手帳カバーのように、少しずつ色が変っていくのだろう。
自分の贈った物が、手塚と一緒に世界のあちこちを旅している。
自分の居ないところでも、手塚と同じ時間を過ごし、同じ空気を吸い込んでいるのだ。
それは少しくすぐったく、同時にとても嬉しいことだった。
そうして欲しくて贈ったわけではないけれど、持ち歩ける物を選んで良かったと思っている。
せいぜい年に数回しか会えないのに、今は手塚との距離はとても近い気がする。
会えない時間でも、存在を感じていられる。
同じものを使っていれば離れていても繋がっていられるなんて、甘ったるいことを言うつもりはない。
でも、使う度に手塚のことを考える。
そういう時間が積み重なれば、互いへの思いはきっと強くなる。
側にいられる時間しかカウントされないわけじゃない。
今はそう信じている。
手塚の時間と、自分の時間。
同じ分だけ年月を重ねていけば、何かが変っていくのだろうか。
真新しいヌメ革が飴色に変化していくように――。
正直に言えば、変ることが怖いと思ったこともある。
でも今は手塚と自分がどう変っていくかが、楽しみだ。
どこでどんな時間を過ごそうと、どんな形であれ手塚に惹かれ続けることは変らない自信があるからだ。
手塚に贈った手帳は、同じ物を自分のためにも用意してある。
さっそく今日からその手帳を使い始めるつもりだ。
乾にとって10月は今日から始まる。
これから動き出す新しい一年は、きっといい年になるだろう。
非常に珍しい手塚からのキスが、まずはその手始めだ。
10月始まりの手帳の一行目には忘れずにそう記しておこうと、乾はキスの真っ最中に考えていた。
2013.11.16
クールな乾を目指しても、最終的には絵に描いたような手塚馬鹿になってしまうのはなぜなんだろう。