手塚家のカレー

手塚の作るカレーは、旨い。
市販のルーに、大きな野菜がゴロゴロと沢山入っている、ごく普通のカレーだ。
肉は大抵ポークかビーフ。
ほくほくしたジャガイモが目立つ、ちょっと懐かしい雰囲気の、いかにも家で作るカレー。
作ろうと思えば誰でも作れるような、平凡なカレーにしか見えない。
でも、そのありがちなカレーが、抜群に美味しいのだ。

「ただいま」
今日は週に二回ある、バイトで帰宅が遅くなる日だった。
ドアを開けた瞬間に、夕食のメニューが何かわかる。
「おかえり」
出迎えた手塚は、俺以外の人間には見分けられない程度の、微かな笑顔を浮かべている。

「今日も、カレーにした」
「うん。嬉しい。ものすごく腹が減ってるんだ」
「じゃあ、今すぐ温める」
頼むよと笑いかけると、手塚は黙って頷いた。

俺がカレーを作るときは、市販のルーを使わない。
飴色の玉ねぎとトマトの水煮缶がベースの、さらりとしたカレーだ。
でも、手塚の作るカレーには、俺のとは違う素朴て力強い味わいがある。
それが、とても新鮮だった。

初めて作ってもらったとき、俺が大絶賛すると、手塚は少し照れたように笑った。
「キャンプでよく作ったからな。俺が作れる唯一のまともな料理だ」
「いや、本当に旨いよ」
俺が何度もそう褒めたのが、それなりに嬉しかったらしい。
それ以来、ちょくちょく作ってくれるようになった。

俺がバイトで遅くなる日には、手塚が夕食を作る。
そんなときは、事前にカレーをリクエストしておく。
最初のうち、手塚は、俺が気を使って、作るのが楽そうなものを頼んでいると思っていたようだ。
だが、作るたびに俺が喜んで平らげるから、本当に好きなのだと理解してくれた。
最近では、自分から進んでカレーにしようと言ってくれる。
今夜も、きっと俺が喜ぶから作ってくれたのだろう。

「ああ、やっぱり手塚のカレーは旨いな」
「大げさだな、お前は」
自分は既に夕食を終えているけれど、手塚は俺に付き合ってテーブルにつき、コーヒーを味わっていた。
俺の前にある大きめのカレー皿は、すでに半分が消えている。

「いや、本当に旨い。俺、手塚のカレーを食べて、豚肉の美味しさを再認識したよ」
「お前の作るチキンカレーも旨いぞ」
その通りで、俺が作るのは殆どがチキンカレーだし、外で食べるときもチキンを選ぶ。
手塚はポークかビーフで、今日は大きめに切ったポークだった。
それがまた噛み応えがあって、実に旨い。

「これって、基本的には、手塚家の味なんだよな?」
「そうだな。一番慣れ親しんでいる味だから、自然と手本にしているんだろう。でも、母の作るカレーは、こんなに野菜は、でかくないぞ」
「手塚のお母さん、料理上手だよな」
「そうか?」
身内を褒められて照れくさいのか、手塚は黙ってコーヒーカップを傾けた。

「ああ、すごく上手だよ。手塚が羨ましいな。毎日あんな美味しい料理食べてたんだから」
「褒めすぎだろう、それは」
「そんなことないよ。本当に、手塚んちの子になりたいくらいだ」
手塚は、くすっと小さく笑って俺を見た。

「じゃあ、俺の家に養子に来るか?」
「え?じゃあ、俺が手塚貞治になるのか?」
「そうなるな」
「うん、そうなるね」

少しの間、会話が止まった。
正確に言うと、俺が止めていたのだが。

「あのさ」
恐る恐る、口を開く。
「ん?」
「今の、もしかして、プロポーズか?」

手塚の目が点になった。
…ような気がした。
次の瞬間、手塚はテーブルに突っ伏して、小刻みに肩を震わせて笑い出した。

「…なんで、そこで、笑うわけ?」
「笑うだろう、普通」
手塚は顔を上げずに答えた。
肩はまだ動いている。

「…それは…ないんじゃないか」
「お前が、変なことを言い出すのが悪い」
「だって、手塚が、紛らわしいことを言うから」
俺だって、まさかとは思った。
だが、逆に手塚だから、あるかもしれないとも、つい考えてしまったのだ。

ぶつぶつと、いい訳じみたことをつぶやいていると、手塚がゆっくりと身体を起こした。
顔には、まだ笑いが浮かんでいる。
「悪いが、もしするなら、俺はあんな言い方はしない」
「どう言うんだ」
「さあな」

手塚は空になったらしいカップを手にして、立ち上がった。
「片付かないから、さっさと食べてしまえ。冷め切ると、不味くなるぞ」
「わかったよ」
皿には、ちょうど、一口分くらいのカレーが残っていた。
それを丁寧にスプーンですくい、口に運ぶ。
確かに冷めてしまってはいたけれど、手塚のカレーはやっぱり美味しかった。

2008.03.09

同棲大学生乾塚。どんどん、乾が可愛そうになっていく。
少し前に、カレーを食べているときに浮かんだ話。