二日目の無精ひげ −夜− (※R18)

元々、色の白い乾だが、今夜は特に白く見える。
部屋の灯りを少し落としているから、そんな気がするだけかもしれない。
だが、ベッドの上で見る、真っ白な陶器のような乾の肌は、やけに艶かしい。
シャワーを浴びたばかりで、湿り気を帯びているからという理由だけではないはずだ。

結局、乾は普段と同じ就寝時間が来るまで、手を出してくることはなかった。
手塚の方も、誘うような真似は、一切しなかった。
してしまったら、負けのような気がしたのだ。
なんの勝負なのか、自分でもわからないが。

ベッドルームには、昼間の暖かさがまだ残っていて、裸になっても寒くはない。
乾が前回ここにきたときは、まだ春の気配は遠かった。
お互いを暖めるように、朝まで抱き合って眠った記憶がある。
それくらい長い時間、乾と抱き合っていなかったのだと、キスをしながら考えた。
乾は、既に上半身は何も着ていない。
肩に置いた手には、直に体温が伝わってくる。
自分とは違う肌の感触は、自分のそれ以上に掌に馴染んでいた。

ベッドの上に座ったまま、乾と長い長いキスをした。
唇を離してから、着ていたパジャマのボタンを、上からひとつずつ外す。
その間も、乾の視線をずっと感じていた。
最後のひとつを外した瞬間、するりと乾の右手がパジャマの中に滑り込んできた。
乾の指は、迷うことなく胸の先端にだとりつき、小さな円を描くように動く。
意外なくらい冷たい指先に、背筋がびくりと硬直した。

「待て。まだ全部脱いでな…い」
「待てない」
自らの言葉を証明するように、両手を使って手塚の身体を撫で始めた。
肩から滑り落ちたパジャマは肘のあたりに絡まっていて、自由が利かない。
膝立ちのまま抵抗できない手塚の身体を、乾は好きに弄んでいる。
生暖かい舌が、胸の先をねっとりと舐め、片方の先端は指先で転がすようにしていた。
どこ、と自分でも説明できない場所が、ざわざわと反応する。
こんなところが感じるなんて、乾に触れられるまで知らなかった。
相手が乾でなければ、一生知らないままだったのかもしれない。

「あ」
出したくはないのに、声が漏れる。
「いいね、それ。もっと聞かせて」
「…るさい」
「そういう台詞も好きだ。もっと言って」
乾にとって、しばらくぶりだということは、当然手塚もそういうことになる。
同じだけ飢えているはずなのに、乾の方がずっと余裕があるのが悔しい。
喘いでいるのは手塚ひとりだ。
でも、しがみついた乾の背は、しっとりと汗ばんでいた。

汗くさいだろうと申し訳なさそうに言った、昨日の乾の言葉がよみがえる。
乾の汗の匂いには慣れている。
ベッドの上で絡み合いながら嗅ぐ、その匂いは、決して嫌なものじゃない。

「乾。俺が、脱ぐまで待つか、お前が…脱がせるか…どちらかにしてくれ」
呼吸を乱しながら手塚言うと、乾は唇を話し、無邪気に笑って見せた。
「ん。どっちもいいな」
「はや…く決めろ」
「じゃあ、上半身は自分で脱いで。下は俺が脱がせるから」
そういう返答は予想していなかった。
いちいち面倒くさい奴だと思いながら、その言葉に従ってしまう。
肘に引っかかっていたパジャマを脱ぐ間に、下半身は簡単に剥ぎ取られてしまった。
昔から、こういうことは、やたらと器用な男なのだ。

手塚が裸になったのを見届けてから、乾も同じように全部を脱ぎ捨てた。
残っているのは眼鏡だけだ。
無言でそれぞれの眼鏡を奪い合い、唇を重ねる。
それからゆっくりと、互いの身体を抱きしめた。
決めたわけでもないのに、いつのまにか、これが合図みたいになってしまっている。

腕と足を絡ませて、ベッドの上に倒れこむと、ため息のような声が、乾から漏れた。
「やっと触れた」
少し掠れた声は、甘えているようにも聞こえる。
「会えない間、手塚に触りたかったんだ。すごく」
さっき胸に触れた指先は冷たかったのに、抱きしめた身体はとても熱い。

「抱きたくて、たまらなかった」
空気を含んだような、低くて甘い声が耳をくすぐる。
特別な響きを含んだ声は、手塚の身体を溶かしてしまう。
直接触られたわけでもないのに、腰から下がじんと痺れた。

「手塚」
名前を呼ばれたとたん、びくんと全身が反応した。
乾は、どの言葉が一番、手塚に効果があるかを熟知しているのだ。
揺れた肩を、乾の大きな手に包み込まれた。

「てづか」
甘い声で、自分の名前を呼ばれる度、胸が苦しくなる。
愛しくて切なくて、どうしようもない。
なのに、身体はあからさまな欲を示す。
気持ちと身体が、それぞれに反応を返すのを、乾が気づかないはずはない。
肩から背中、そこから腰と、乾の手はゆっくりと動く。
愛しんでいるようにも、遊んでいるようにも思える、手の動きは確実に手塚を追いあげる。

心だけじゃ、だめだ。
身体だけでも、だめだ。
両方を満たして欲しいと願っていることを、乾はちゃんと知っている。
だから、自分も同じものを返したい。
乾が自分を望んでくれているように、自分がどれだけ乾を求めているかを伝えたかった。

「いぬ、い」
なに、と優しい声が返ってくる。
「俺も、お前に触れたい」
「うん。触って」
囁く男の足の間に手を伸ばすと、乾はぴくっと肩を揺らしてから、薄く笑った。

「いきなり、そこか?」
「嫌か」
「まさか。でも、お手柔らかに頼む。それだけでいっちゃいそうだからね」
お手柔らかも何も、今の自分にできることは、そう多くはない。
手加減など、到底無理な話だ。
身体が勝手に動くのに、任せるしかなかった。

乾は、しばらくの間、手塚の好きにさせていたが、少しずつ主導権を取り戻し始めた。
荒い呼吸を続ける手塚の唇を何度もふさぎ、昂ぶりを押し付けてくる。
汗にまみれた熱い肌が密着し、卑猥な音を立てた。
こうなってしまったら、全部を乾に任せてしまった方がいいと、経験でわかっている。
今度は、手塚が乾の好きにさせていた。
というより、それしかできないのだ。

長い乾の指が手塚の後ろに伸びてくる。
これから乾を受け入れる場所に、長い指が侵入してきた。
ぬめる指が、時間をかけ、少しずつ手塚を開いていく。
何度体験しても、これに慣れきってしまうことは、きっとないだろう。

お互い、無駄な会話を続ける余裕はなくなり、ときどき押し殺した声が漏れるだけだ。
それすらも、どちらが上げた声かもわからなくなっていた。
呼吸を奪い合うようなキスと、欲望を煽る指の動きは、凶暴と言ってもいいくらいの熱さだった。
もう十分過ぎると訴えようとしたとき、先に乾が薄い唇を開いた。

「もう、挿れていい?」
「いちいち……聞かなく…ていい」
これは今日だけでなく、過去に何十回言ったかわからない。
それでも、乾は聞くのを止めない。
きっと、そういうのが好きなのだろう。

一度確認したら、その後の乾の仕事は早い。
繋がるための手順を踏むと、手塚の身体の位置を自分の好きなように変え、大きな手を腰骨にかけた。
挿れてもいかとは尋ねるくせに、自分勝手な男だ。
だが、乾が好むやり方は、間違いなく気持ちがいい。
結局、ベッドの上でのことは、乾に任せてしまうのが正解なのだろう。

ゆっくりと時間をかけて、乾が入ってくる。
乾は、最初に身体を繋いだときから、今に至るまで一度も乱暴に振舞ったことがない。
今夜も、初めてのときのように、慎重に身体を進めている。
もどかしさと安堵の狭間で、手塚は、ただ息を吐いた。
自分の吐息は、きっと、とても熱いはずだ

完全に自身を収めたとき、乾は吐息まじりの低い声を上げた。
久しぶりに聞く艶のある声は、見た目ほどには、乾も余裕がないのかもしれないと思えた。
さっき、抱きたくてたまらなかったと言った言葉は、本当なのだろう。
熱に任せて逸るのではなく、会えない間に触れられなかったものや味わえなかったものを、少しずつ満たそうとしている。
そんな風に見えた。

汗の浮かぶ額や、湿った薄い唇からもれる荒い息。
乾が目を細めたり、眉を寄せたりする度に、自分も同時に切なくなる。
実際に何も言わなくても、乾が自分の名前を呼び続けている気がして。

「珍しい」
「な…に」
「今日は…目を閉じないんだな」
行為の最中に、自分の意思で目を開いたり閉じたりするのは、難しい。
でも、今日はできるだけ、瞼を開こうと意識していた気がする。

「どうして?」
おそらく乾は答えを予測して、そう尋ねているのだ。
微笑む顔が、そう物語っている。

理由は勿論、見ていたかったからだ。
いつもと違う乾の顔を。
ずっとシーツを握り締めていた左手を離し、かわりに乾の顎に触れる。
ゆっくりと輪郭に沿って手を滑らせた。
ざらりとした感触が、くすぐったい。

「これが、見たかった」
「…気に入った?」
「ああ…。とても」

いつもの、理性的で清潔そうな顔も大好きだ。
だが、顎にひげがあるだけで、精悍で野性味のある色気を感じる。
簡単に言ってしまえば、男くさいのだ。
それは、見ている手塚だけがそう思うのではなく、乾自身も作用しているのではないか。
今日の乾は、いつもと違う。
決して荒っぽくはないが、手塚に有無を言わせない強さがある。
物理的な力ではなく、行為の質が、そうさせていた。

手塚を抱く、唯一の男だ。
何年も見続けてきて、何度となく身体を重ね、知らないところなんてないと思っていた。
でも、今自分を組み敷いている乾は、手塚の見たことのない顔をしている。
良く知る男の、知らない顔に見つめられて、どうしようもなく昂ぶってしまう。
自分から身体を動かしたくなる衝動を、必死で抑えていたけれど、もう限界だった。

「…いぬい」
「ん?」
「これ以上…焦らされたら、俺は、勝手に達く」
「ああ、ごめん。もう待たせない」
乾は、場違いなくらいに優しく笑うと、少し無理な体勢で手塚にキスを落とした。
それが、優しくするのはこれが最後だという宣言だったらしい。
そのあとは、なんの遠慮もなく手塚を喘がせ続け、最後まで手を緩めることはなかった。

しばらくは、寝返りを打つこともできなかった。
仰向けのまま、ただただ呼吸が戻るのを待っていた。
なんとか首を捻るくらいは可能になり、となりの男に目をやると、乾も手塚の方を見ていた。
視線が合うと、困った顔で笑う。

「…一度じゃ足りないみたいだ」
手塚も、まったく同じことを感じていた。
もう一度、乾を自分の中で感じたくて仕方ない。
だから、素直にそう口にする。
「俺もだ」
手塚の短い返事から、何かを読み取ったのか、乾は薄い唇に笑みを浮かべた。
歯も舌も見せない、上品な笑い方が、かえって卑猥だと思う。

「じゃあ、今度は遠慮なしでいく」
「…さっきのは、遠慮してたのか?」
「してないか」
乾は、さっきとは打って変わって無邪気に笑い、手塚の身体に長い腕を伸ばす。

「じゃあ、言い直す。一切、手加減なし。それで、いいか」
「同じ言葉を返す」
「最高」

それは、今夜の乾の顔に、とても良く似合った台詞だった。


2010.04.11

長い!こんなに長くなる予定じゃなかった。
書きたかったのは、「普段は目を閉じてるけど、無精ひげが見たくて目を開けている手塚」でした。