■OFF LIMITS2
※OFF LIMITS1の続きとなります。先にそちらを読んでからどうぞ。
本当だったのだ。
手塚はそう思った。
「おめでとう、と言っていいのか」
乾は黙っている。
口を閉じたまま、じっと自分の顔を見ている。
強い視線を受けたまま、手塚は目をそらすことが出来ずにいた。
「…それを聞いたとき、手塚はどう思った?」
挫けたように、手塚は乾から視線を落とした。
その目を見たままで、後に続くセリフを言えるはずがなかった。
「これで…俺はお前に捨てられるんだ…と思った」
ふふ、と笑う声がする。
「先に俺を捨てたのは手塚だよ?」
乾の言っていることは正しい。
先に裏切ったのは自分だ。
高校の途中で留学し、そのまま手塚はプロの道を選んだ。
そして乾は大学に進学し、社会人になった。
離れて暮らしてからも、二人の関係はしばらくは続いていた。
会えるときは必ず会ったし、メールも頻繁にやりとりしていた。
だが、日常というのは残酷なほど単純だ。
会う機会が減れば、自然と相手を必要としなくなる。
別れようとわざわざ口にだすまでもなく。
そんな日々の中で、手塚か自分の所属するエージェント会社のスタッフの女性と電撃的に結婚したのが23のとき。誰にも相談せず、いきなりだった。
乾には、ただ「結婚した」とだけ書いた手紙を出した。
折り返し、「おめでとう」と書かれたカードが贈られてきた。
だが、その生活は一年足らずで終わりを告げた。
「別れたい」といわれ、それに従った。自分でも驚くほど、その現実は辛くも悲しくもなかった。
おそらく今でも自分が本気になった相手はただ1人。
それを確認しただけの一年だった。
顔を上げると、乾と目が合った。
「手塚、全然食べてないね」
こんなときに、普通に食事できる方がおかしい。
そう言ってやろうと思ったが、その前に乾がグラスを置いた。
「もし、このあと予定がないなら俺の家で飲みなおさないか?」
「お前の…家で?」
「うん。俺の家なら、少しは気が楽かなと思うけど」
一瞬、断わろうと思った。
だが、自分を見る乾の目に、どうしても逆らえなかった。
何度となく、自分を映した黒い目は今も手塚を逃しはしない。
「予定はない」
そう答えた声が、少し震えていたことに乾は気づいたのだろうか。
タクシーで15分ほどで乾のマンションに着いた。
エレベーターで5階に上がり、乾の後を追って部屋に入った。
「引っ越してあまり経ってないから、殺風景だけど」
「邪魔する」
灯りをつけた部屋は、思っていたよりもずっと片付いていた。
ダイニングテーブルの向こうには、大画面のテレビとソファがある。
1人で暮らすにはもったいないくらいの広さだと思ったが、そのあとでここは乾が結婚生活を送るために引っ越してきたのだということに気づいた。
おそらくここを片付けたのも、乾自身ではないのだろう。
奥の部屋で着替えをすませた乾が戻ってきた。
黒いTシャツとラフなパンツ姿の乾は、昔と殆ど変わらない。
「全然変わらないな、お前」
勧められた椅子に座りながら、ついそう言ってしまう。
「さっきも聞いた」
「テニス、続けてるのか?筋肉が全然落ちてないな」
「テニスはたまにやる程度だね。でもジム通いはしてる。体力勝負だから」
乾は大学の工学部を出て、今は大手の建築会社にいる。
バリアフリー住宅の設計・建築ではかなり有名な会社らしい。
「俺、多分手塚には筋力では負けないよ?」
「テニスは筋力だけでやるものじゃない」
手塚が反論すると、乾は声を上げて笑った。
変わらないのは外見だけでなく、そういう物言いも昔のままだ。
これしかないけど、と目の前のグラスにビールが注がれた。
「ホントに久しぶりだ」
向かいの椅子に座った乾が言う。
「会いたかった。ずっと」
俺は会いたくなかった。
会えば、揺らぐ。
それがわかっていたから。
だが、それでも会いたかった。
会っておきたかった。
それで終わりにしようと、そう思った。
「手塚は、今決まった相手がいる?」
「いや、いない。付き合った相手は何人かいるが、長続きはしないな」
「手塚はもてるだろう?」
「さあな」
手塚は目の前のビールを一口飲んだ。
冷たく苦い泡が喉を通る。
「俺も、何人かと付き合ったけど長くは続かなかったな」
乾もビールに口をつけた。
グラスに半分くらいの量が、一度に無くなった。
「誰かと付き合うたびに、気づくんだ。俺が好きなのはやっぱり手塚なんだって」
乾の口から「手塚」と言われた瞬間、心が震えた。
自分から手を離しておいて、今になってその手を惜しむのはあまりに卑怯だ。
それがわかっていても、この男を求めてしまう自分の愚かさに嫌気が差す。
いつも心を占めていたわけではない。
だが、いつもまでも塞がらない傷のように、誰かを好きになりかける度に胸が痛んだ。
だから。
今日で終わらせようと思っていたのに。
「手塚が、今でも好きだ。誰よりも」
言うな。
そう叫びたかった。
俺に気づかせるな。
ずっと気づかないフリをして、
忘れたつもりでいたのに。
俺も、お前を変わらずに好きだということを。
「手塚」
「…なんだ」
顔を上げずに答えた。
「今日、帰るなよ」
「今更…?」
もうすぐ、他の誰かを選ぶお前が、なぜそれを言う?
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