■移動祝祭日:1日目
「はい」
「ん」
会話らしい会話は途絶え、時々口にするのはこんな短い言葉だけ。
さっきまでの賑やかさとは打って変わり、今は食器を洗う水音くらいしかしない。
9人分の食器の量はそれなりで、二人で片付けても、ある程度の時間はかかる。
一応紙のコップや皿も用意はしていたが、途中で足りなくなった。
10代の男9人の食欲を、舐めてはいけない。

それにしても、今日の主役である手塚に皿洗いをさせることになるとは思わなかった。
俺自身は、場所を提供したときから、ある程度の覚悟はしていたが、手塚本人は自分の誕生日祝いのための集まりで、労働する羽目になるとは予想していなかっただろう。
ちらりと横目で伺うと、手塚はやけに真剣な顔をして、泡だらけの皿をすすいでいてた。

今年の手塚の誕生日は、皆で祝おう。
そう言い出したのは、お祭り騒ぎが大好きな英二だった。
皆というのはこの場合、青学中等部から引き続き、高等部でもテニスを続けている5人のことだろう。
いつもなら、手塚の性格を考えて、やんわりと英二を抑えるはずの大石がそれに同意したのは、ちゃんと理由がある。
中学の3年間で、手塚の誕生日祝いをきちんとやったことが一度もなかったことと、多分来年には、手塚はここにいないことを全員が知っているからだ。

中学時代は、誰かが誕生日を迎えるたびに、それにかこつけて皆で集まって、わいわいやるのが普通だった。
ただ、手塚の誕生日だけは、一度もそんなことを、したことがなかった。
本人がああいう性質だから、せいぜい部室でお菓子を食べたり、プレゼントを渡したりするくらい。
だから、英二が最後のチャンスかもしれない今年に、部の仲間として誕生日祝いをしたいと言い出した気持ちは、よくわかる。

手塚も最初は遠慮していたが、英二が熱心に説得するので、ちょっと困ったような顔をしながらも頷いた。
いくら少々鈍い手塚だって、皆の気持ちくらい、わかっているのだ。

さて。
問題は誕生日を祝うための場所だ。
普通に考えるなら、手塚の家に集まるのが自然だろうが、あの武家屋敷のような家に集まって騒ぐのは、正直気が引ける。
あれこれ考えた末、俺が会場として我が家を提供することにした。
俺の家なら、親の目を気にせずに集まれるし、手塚も何度も来た事があるから、慣れていると思ったからだ。
実際、俺がそう提案したときに、手塚がほっとした顔をしたのをちゃんと知っている。

当日、手塚を祝うために集まったのは、まず大石、英二、不二のテニス部メンバーは当たり前として、中等部から桃と海堂と越前までやってきた。
それに、テニスをやめてしまったタカさんも、自分で握った寿司を持ってやってきた。
そして会場提供者の俺と、主賓の手塚を入れた総勢9人が揃った。

メインディッシュはタカさんの力作と、手塚のお母さんが作ったバースデーケーキだが、後の料理は、みんながそれぞれに好きなものを持ち寄ったため、とんでもない取り合わせになった。
フライドチキンやピザは、まあいいとして、コンビニのおでんや中華まん、なぜか『おはぎ』や『芋羊羹』まであった。

俺も期待にこたえようと、新作の野菜ジュースをご披露したが、誰も飲もうとしない。
手塚だけが恐る恐るといった感じで口をつけ、意外と美味しいという、失礼極まりない感想を述べた。
これは罰ゲーム用じゃないんだから、美味しくて当たり前だと思うのだが。

特に『何か』をしたわけじゃない。
ただ集まって、手当たりしだいに食べて、馬鹿なことを喋って、大笑いしただけ。
だけど、すごく楽しかった。
普段は可愛げのない越前も、年相応な顔で笑っていたし、手塚でさえ、半分困ったような笑顔を浮かべていた。

バカ騒ぎが終わったのは、夜の8時ごろだった。
同じ方向の連中が、三々五々と引けていって、最後に残ったのは俺と手塚だけだった。
俺は送っていくと言ったのだが、手塚は後片付けを手伝うといって聞かないので、気の済むようにさせてやることにした。
手塚は責任感が強く義理堅いので、何もさせない方がかえってストレスになるだろう。

二人で黙々と作業をして、ようやく片付いたときには、更に一時間が経過していた。
最後の皿を食器棚にしまったところで、二人同時に大きく息を吐いた。
流石に手塚も疲れたらしい。
「どうする?すぐに帰るか。それとも、時間があるなら、コーヒーくらい飲んでいく?」
捲くっていたシャツの袖を戻しながら尋ねると、手塚は黙って俺の顔を見返した。
「どうした?」
何か言いたそうな、でもきっかけがつかめないというような感じだったので、こちらから水を向けてみる。

「乾」
「何?」
手塚が、真っ直ぐに俺を見た。

「今日、泊めてもらえないか」
「え?今日?」
「ああ」
「俺は構わないけど、手塚は大丈夫なのか?」
親が放任主義の俺と違って、厳格な手塚家では、無断外泊などは許されないはずだ。
そう思って確かめたのだが、帰ってきたのは意外な言葉だった。

「親には、泊めてもらうと最初から言ってある」
「本当に?」
「ああ」
「じゃ、着替えとかパジャマとか用意してあるのか」
「ああ」

短い返事に唖然とした。
これは、ないんじゃないかと思う。
俺には事前に一言の相談もなかったくせに、俺が断るはずがないと決めてかかっているのか。
自分ばかり最初からそのつもりで、俺には不意打ちを食らわせるなんて、やり方が汚い。
そもそも、こういうやり方が得意なのは俺のほうで、これは手塚らしくないじゃないか。

文句はいくらでも出てくるけれど、それ以上にこみ上げてくる笑いを、もう止めることが出来なかった。
嬉しそうな顔を見せてしまったのだから、潔く負けを認めるしかない。
「うん。わかった。ぜひ泊まって行ってくれ」
「ありがとう」
手塚は、安心したように息を吐き、肩から力を抜いた。
どうやら、言い出すまでかなり緊張していたようだ。
そんな様子も愛しく思えて、俺はますます笑顔になってしまう。

「じゃ、時間はたっぷりあるわけだ。やっぱり、コーヒーを淹れるよ。」
ソファに座って待ってて、と声をかけると、手塚は小さく頷いてリビングに移動した。
俺は愛用のケトルを火にかけ、湯を沸かし、時間をかけてコーヒーを淹れた。
封を切ったばかりの豆が、いい香りをさせていた。

「お待たせ」
声をかけると、手塚はキッチンまで歩いてきた。
テーブルには同じ色のコーヒーカップが二つと、白い皿が二枚。
皿の上には1センチほどの厚さのパウンドケーキが載っている。
「満腹だとは思うけど、一口味わってみてくれるかな」
「これは?」
椅子に座った手塚が俺を見上げる。

「うちの母親が手塚にって、作っておいたんだ。途中で出すつもりだったんだけど、さっきまですっかり忘れてた」
せっかくだから一口、と勧めると、手塚はありがとうと答えて、フォークを持った。
本当は、このケーキのことを、忘れていたわけじゃない。
手塚が帰るとき、お土産に手渡そうと思っていた。
だけど、手塚が明日までいてくれるなら、二人でゆっくり味わう方がいい。
普段はケーキなんて、滅多に口にしないけれど、手塚と向かい合って食べるケーキは特別な味がした。

コーヒーのおかわりを持って、ソファに移動した。
数時間前のバカ騒ぎが嘘のように、静まり返っている。
手塚が寂しく感じていると嫌なので、テレビをつけてみた。
会話の邪魔にならないよう、ボリュームをさげ、無難そうなニュース番組を選んでみた。
隣に座る手塚は、黙ってテレビの画面を見ているが、意識が集中していないのは一目瞭然だ。

「誕生日に外泊するなんて、初めてじゃないのか?」
「そうだな」
「よかったの?」
「別に構わない」
手塚は抑揚のない声で、返事を返した。

「寂しくないか?誕生日の夜に俺と二人なんてさ」
手塚がようやく俺の方を向いた。
捻った首が、すごく細く見えた。

「お前なら、寂しいか?」
「俺だったら、すごく嬉しいよ」
自分がこの世に生まれた日を、一番好きな人と過ごせるなら。
「俺も同じだ、乾。お前だけが、俺を好きだと思うな」
「うん。そうだね」
ごめんと謝ると、手塚はほんのかすかな笑顔を浮かべた。
それは、今日見た手塚の笑い顔の中で、一番嬉しそうな顔だった。

俺を見つめる手塚の肩に手を回し、ぐっと力を入れて引き寄せた。
急なことに驚いたのか、手塚は一瞬身体を緊張させたが、俺の方が少し早かった。
両腕で手塚を抱きしめて、逃げられないようにした。
「手塚が寂しくならないように、今日は俺が朝まで抱っこしてあげるよ」
「なにを馬鹿なことを言ってる。なぜ寂しくなるんだ」
「ホームシックになるかもしれないだろう」
「たった一泊で、なるわけないだろう。離せ」
「や、です」

必死に腕を突っ張って、手塚は俺から逃れようとするが、普段ほどの腕力がない。
唇を寄せた耳朶が真っ赤になっていて、これじゃ力も出ないだろうと思う。
笑いながら回した掌で背中を撫でると、ようやく手塚が抵抗をやめた。

「誕生日おめでとう」
「ん」
ありがとうの返事はなかったけれど、赤い顔のまましてくれたキスが、きっとそのかわりなのだろう。
甘いキスのお礼をする時間は、いくらでもある。
今日はまだ、三連休の一日目なんだから。
2006.10.22
前半長くなりすぎて、つめるのに苦労しました。いつもこのパターンです。

難しくて中々かけないんですが、ホントはもっともっと青学面子を出したいんです。
らぶらぶあまあまな二人を書くのも好きだけど、青くて不器用な中学生も好きなんです。

続きも途中まで書いてるので、早いとこ仕上げたい。タイトルの説明はそのときにでも。