今日の晩御飯 2

乾と違って、手塚の料理のレパートリーはそう広くはない。
当日のメニューをどうするかは、かなり難しい問題だった。
乾は簡単なものでいいと言ったが、誕生日祝いなのだからそれなりに見栄えのいいものしたい。
だが、あまり豪華にしてしまうと、乾の望むシンプルな家庭料理からは遠ざかってしまうし、そもそもそんなものは作れない。
簡単なのは新鮮な魚介類を使った海鮮丼のようなものだが、それを手料理と呼んでいいものか。
あれこれ迷った末に考えたのが、グリル料理だった。
骨付きの鶏もも肉をグリルで焼けば、シンプルながらボリューム感も出せそうだ。
近いものなら作ったことがあるから、おそらく手塚でも大丈夫だろう。
一羽丸ごとも考えたが、大げさになりそうだしさばく自信もないのでやめにした。
メインをひとつ決めたことで、ほかも考えやすくなり、どうにか全体のメニューが決まった。
練習と確認をかねて、一度に全部ではないが事前に作っても見た。
そうやって迎えたのが、今日という日だった。

乾が、さっそくメインである鶏肉に、箸を持って挑もうとしている。
「手で持って、かじりついてくれ。きっとその方が旨いから」
「じゃあ遠慮なく」
箸を置いた乾は、テーブルの上に用意しておいた紙ナプキンを骨に巻き、がぶっとかじりついた。
出来上がりが心配で、乾がじっくりとかみ締めるところを、つい見つめてしまう。
「これは美味しいですね!」
弾んだ声に、思わずほっと息を吐く。

「皮がパリパリだ。鶏の味が濃いですね。地鶏かな」
「当たりだ」
褒められたことに安心して、手塚も同じようにかぶりつく。
乾の言うとおり皮はパリッと焼き上がり、肉の方はほどよく締まって旨みがある。
料理の腕に自信がないからと、いい材料を選んだのが正解だった。

「酒蒸しもおいしい。なんだろう。独特の風味があるような」
「それは塩麹で味をつけてあるんだ」
「ああ、なるほど」
乾は旨いとか美味しいとか言いながら、一通り料理に手をつけた。

「このオムレツ、ご飯が欲しくなる味ですね」
「ビールが終わってからと思ったんだが、持ってくるか?」
「お願いします」
乾のリクエストに応えるため、急いで吸い物を温めなおし、ご飯と一緒にテーブルに並べた。

「あ、炊き込みご飯ですね」
乾は茶碗を持ち上げ、軽く首を傾けた。
「そう。新生姜の炊き込みご飯だ」
具は新生姜と油揚げだけという、シンプルなものだ。
「あ、これもおいしい。さっぱりしていて、いくらでも食べられそうだ」
「おかわりもあるから、遠慮なく食べてくれ」
「ありがとうございます」
にっこりと笑ってから、乾は炊き込みご飯を頬張り始めた。

乾は身体が大きい割には、そう沢山ものを食べる方ではない。
本人が言うには、20代なかばあたりから、少しずつ食べる量が減ってきたのだそうだ。
その乾が、今夜は良く食べている。
手塚に気を使っている部分も、勿論あるだろう。
だが、その表情を見る限りでは、決してそれだけでないと思うのだ。
楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうだ。
そう言ってしまっては大げさだろうか。
だが、美味しそうに食べる乾を見ていると、つい手塚まで今日の食事が特別美味しく感じられるのだった。

箸をおいた乾が、ご馳走様でしたと頭を下げた。
「すごく美味しかった。僕よりずっと料理がお上手じゃないですか」
「いや、そんなことはない。今日はたまたま失敗しなかっただけだ」
一番心配だったのは鶏だが、それが成功したのは本当に良かった。
「素晴らしいプレゼントをありがとうございました」
嬉しそうに乾が笑うのを見て、手塚も一緒に微笑む。

「食事はプレゼントじゃないぞ。しいて言うならオプションみたいなものだ」
「え?そうなんですか?今夜招待していただいたことがプレゼントだと思い込んでました」
きょとんした表情の乾を見るのが、楽しくて仕方ない。
「プレゼントは、お前の目の前にある」
「え?どれ?」
乾はテーブルの上を見回しているが、視線の先に正解はない。
意地悪を楽しむ年でもないし、すぐにヒントを口にした。

「さっきまで使っていただろう」
「もしかして、このご飯茶碗?」
空になっていた茶碗に、乾の長い指が触れた。
「と、箸だ」
「ああ、そうか。なるほど」

乾は置いたばかりの箸をもう一度手に取り、じっくりと眺めている。
茶碗は陶芸をやっている友人の新作で、工房で一目ぼれし譲ってもらったものだ。
箸は茶碗のイメージに合わせて選んだ。
茶碗は大きすぎず小さすぎない、手にしっくり来る大きさだ。
色合いも自然で素朴な感じが、毎日使うものにぴったりだと思った。
プレゼントが手料理だけではなんとなく物足りない気がしたから、ちょうど良かった。

「実は、茶碗は気になっていたんですよ。見たことがないものだったから、新品をわざわざ用意してくださったのかなって」
確かに乾は、炊き込みご飯に手をつける前に、ちらりと茶碗の姿を眺めていた。
「でも、箸は気づいてませんでした」
「両方とも、ちゃんと箱に入れて渡すつもりだったんだが、ちょっと驚かせてみたくて」
「ええ、驚きました。そう来たかと思いましたよ」
「綺麗に洗って、箱に入れなおそうか」
「いえ、もし迷惑でなければ、ここに置かせてください」
「それでいいのか?」
「ええ、ぜひ」
静かに笑う乾に向かって、手塚は黙って頷いた。

この部屋に、乾の持ち物は少しずつ増えている。
着替えを何組かと、歯ブラシや本。
忘れていった筆記用具は、打ち合わせにくるたびにそれを使うようになった。
いつのまにか増えたものは、もう意識しないくらいに馴染んでいる。
自分の居場所に乾がいるのが当たり前のことだと、ごく自然に思えるのだ。

これまでの相手には、そんな感覚は持てなかった。
むしろ、どんなに親しい関係になっても、常に一定の距離を起きたいと考えていた。
作家という仕事のせいもあるかもしれないが、自分だけの時間をどうしても確保しておきたかったのだ。
一定のラインを踏み出さないし、踏み込ませもしない。
そういう態度を崩せない相手と、結局は長く続くことはなかった。

箸や茶碗という、生活に密着したものを手元に置くという意味は、手塚にとってそう軽くはない。
手塚が今まで保ってきた、一定の距離を越える行為だ。
生きることそものもに直結した時間を共有するのには、それなりの覚悟必要だった。
今までは──。

ほかの人間との間には存在した境界線が、乾にはない。
一緒に食事をするとより美味しく感じるし、乾がとなりで寝ていると手塚も良く眠れる。
呼吸すら、乾がそばにるときの方が楽だ。
もう乾じゃなきゃだめなのだと思う。
生きていくのに水や空気が必要なのと同じように。

乾は、茶碗と箸をきちんと並べ直した。
「ところで、今日は泊めていただいていいんですよね」
「俺の方はかまわないが、それでいいのか?」
「ええ。デザートまできっちりといただく主義ですから」
「乾」
「はい?」
「作家の端くれとして言わせてもらうが、今の発言は、文芸誌編集者としてどうかと思うぞ」
「すみません。猛省します」
乾は楽しげに笑いながら頭を下げた。
発言は取り消しても、きっと行動は変わらない。
今日は乾の誕生日なのだ。
食べたいものがあるなら、全部好きに味わえばいい。

「デザートを美味しく味わいたいなら、軽い運動もしておいた方がいいんじゃないか」
「と、言いますと」
「後片付けを手伝ってもらおうか」
「喜んで」
やっと仕事を与えられたのが嬉しいのか、大型犬のような男は見えない尻尾を思い切りよく振っていた。

2013.06.14

このふたり、あまり大食いなイメージがないんですよね。ファンブックを見る限りではふたりともかなり細いもんなあ。真田に「細腕」って言われちゃう手塚が好きです。受けも攻めも長身痩せ型知性派眼鏡って素敵過ぎるわ。
それはそうと、塩麹酒蒸し、本当においしいです。