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■紺

紺色、群青色、水色、浅黄色、桔梗色

青と呼ばれる色は沢山あるけれど、そのどれもが手塚には良く似合う。
空を思わせる色も、
水に似た色も
陶器のような色も、
全部。



久しぶりでほぼ定時で仕事が終わり、せっかくなのでどこにも寄り道せずに帰宅することにした。
まだ暑い時間の満員電車には閉口したが、早く帰れるのだからと我慢した。
その甲斐あって、部屋についた時点で時計を見るとまだ6時を少しまわったばかりだった。
インターホンを押しても反応が無いので、俺は自分の鍵を使ってドアを開けた。

手塚が大学に通うようになってから、こういう日が増えてきた。
お互い子供じゃないのだから、それをいちいち断わったりはしない。
まあ、手塚なら遅くなる時はそう伝えてくるはずだし、きっと適当な時間に帰ってくるだろう。
俺は窓を開けて空気を入れ替えてから着替えを済ませた。

食事の用意に取り掛かるのはまだ早い。
ニュースでも見ようとテレビをつけたところでドアが開く音がした。
「おかえり」と出迎えると、手塚は少し驚いた顔をしてから「ただいま」と言った。
左手には大きな紙袋を下げている。
「今日は早かったんだな」
「うん。定時で上がった」
「そうか」
手塚は脱いだ靴をきちんと揃えてから顔を上げた。
俺と違ってあまり汗をかかない手塚は、いつも涼しげに見える。

「家に寄ってきた」
「あ、そうなんだ」
「ああ。色々持たされたから夕食は作らなくていいぞ」
「お、それは嬉しい。手塚のお母さん料理上手だからな」
二人で部屋に入ると、手塚は持っていた紙袋の中身をテーブルの上に並べ始めた。

「かき揚げ…だけど食べるか?」
「食べる食べる」
「家を出る時はまだ熱かったんだけどな」
「いいよ、暖めなおすから。じゃあ夕食はかき揚げと冷たいうどんなんてどう?」
「それでいい」
俺は手塚に後を任せて、早速うどんをゆで始めた。
乾麺は茹で上がるまでに少し時間がかかる。その間にめんつゆと薬味を用意した。
俺の後ろから手塚が食器を並べる音がする。
それはひとりで暮らしていた頃には聞けなかったものだ。
たったそれだけのことが嬉しくて、俺は湯気から顔を背けながらこっそりと笑った。




「あー、このかき揚げ枝豆が入ってる。旨いな」
暖めなおしたかき揚げはサクサクとした歯ごたえがとても美味しい。
冷奴にしたざる豆腐も手塚が家から貰ってきたもので、早速それも味わってみる。
「この豆腐、どこのだ?味が濃くて旨い」
「聞いたけど忘れた」
「手塚らしい」
と俺が言うと、憮然としたあとで手塚はくすりと小さく笑って見せた。

そろそろ並べた食器が全部空になりそうな頃、手塚が何か言いたげに俺を見ていることに気づいた。
口に出して言わなくても、そんなときの手塚は瞬きをせずにじいっと見る癖があるのですぐにわかる。
「何?」
「…お前…浴衣なんて着ることあるか?」
「何年も着てないなあ。せいぜい旅館に泊まるときくらいだけど。何で?」
手塚はやや困ったような表情で、重たそうに口を開く。
「実はな、家に帰った時、母に浴衣を渡されたんだ。今日縫いあがったばかりだと言って」
「へえ、すごいね。後で着て見せて」
「…お前の分もあるんだ」
「え?俺のまで縫ってくれたの?」
「そうだ。でもお前、浴衣なんて着ないだろう?」
眉を顰めてこっちを見ている手塚に、俺は笑顔を返してやる。

「喜んで着るよ。あ、お礼の電話しなきゃ」
俺が立ち上がると、手塚は「食事がすんでからでいい」と引きとめようとする。
だけど明らかにほっとした顔で俺を見上げている。
きっと俺に無理矢理押し付けることになるんじゃないかと、気にしながら帰ってきたんだろう。
可愛いなあと口に出しそうになるのをなんとか堪えたら、気配でそれがわかったのか、手塚はじろりと俺を横目で睨みつけた。


後片付けを終えた後、手塚が持ってきた浴衣を見せてもらった。
丁寧に包まれた風呂敷を解くと、きちんと畳まれた浴衣が現れた。
「これが俺のだ」
深い紺の地に白っぽい模様の入った絣でとても涼しげだ。
色の白い手塚にきっと良く映える。
「こっちがお前用だ」
と手塚が広げてくれたのは、黒い地に同系色の縦縞で、裾の方には燕の柄が入っていた。
「いい色と柄だね。ああ、帯まで用意してくれたんだ。」
「気に入ったか?」
「うん。とても」

これはお世辞じゃなくて、本気で言った言葉だ。
浴衣の値段なんて、全然俺にはわからないけど、素人目にもこの2着の浴衣が決して安物ではないことくらいの想像はつく。

「これを着てどこかに行きたいね」
浴衣に触ってみると、さらりとした感触がする。
「どこに行く?」
「花火大会とか縁日とか…何かあるよ、きっと」
「そうだな」
「何も無かったら、ベランダか屋上でビールでも飲もう」
「それもいいか」
俺が笑いかけると、手塚も軽く微笑んだ。

その日が来るまでに、忘れずに下駄を買わなくては。


2005.7.28
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予定より長くなりそうなので、前半部分をアップ。
続きはきっと想定の範囲内の展開ですよ(笑)。