OFF LIMITSに戻る

■紺2

浴衣を着る機会は思ったよりも早くやってきた。
今夜、マンションから歩いて15分ほどの商店街で祭があるらしいのだ。
そう言われれば、確かに去年の夏にも見かけた記憶がある。
だが、その頃は殆ど関心がなかったので、それきりすぐに忘れてしまっていた。
前日のうちに手塚にそれを伝え、今夜は俺の仕事が終わり次第そこに行ってみようと話が決まった。

幸い仕事は早く終わり、俺がいつもより急いで帰ったこともあって、家に着いたのは7時を10分ほど過ぎたところだった。
ドアを開けると、出迎えてくれた手塚は既に浴衣に着替えていた。
「似合うな」
ただいまより前についそう言ってしまった。
真新しい浴衣は、予想以上に手塚に良く似合っていた。
深い紺色は手塚の白い肌と端正な顔立ちをより一層引き立てる。

「お前もさっさと着替えろ」
照れ隠しなのか、手塚は冷たい顔でそう言い捨てると俺に背を向けてしまった。
「はいはい」と手塚の後をついて部屋に入り、浴衣に着替える前に大慌てでシャワーを浴びた。
浴室から出ると、手塚は俺がすぐに着られるように用意をしてくれていた。
「あ、ありがとう」
「ひとりで着られるか?」
「多分。でも帯が怪しいから締め方教えて」
「わかった」

手塚の見ている前で、とりあえず紐を締めるところまでは出来た。
肝心の帯はやはりわからない。
手塚は一生懸命言葉で説明してくれていたが、そのうち面倒になったのか
「貸してみろ」と自分でやり始めた。
向かい合わせで俺の腰に手を回す。
おかしい話だが、なんだかそれが妙に照れくさい。
手塚とは今更数える気にもならないくらい裸で抱き合ったりしているのに。

帯を締めることに、手塚が集中しているおかげで赤面しているのはどうやらばれずに済んだようだ。
「よし。出来た」
手塚がくるりと帯を後ろに回した。
「どうだ?苦しくないか」
「うん。平気。見た感じどうかな。変じゃない?」
手塚は俺の頭から足までゆっくりと眺めた。
「思ったより似合っている」
思ったよりってどういうことだよと少し引っかかったが、きっとこれでも褒めてくれてるんだろうと素直に喜ぶことにした。


マンションを出ると、外はまだ蒸し暑かった。
商店街まで下駄の音を響かせながら歩いていくと、予想以上の人出にぶつかった。
もっと小さな祭かと勝手に思い込んでいたので、正直言ってびっくりした。
今日が最終日で、しかも金曜の夜なので尚更なのかもしれない。
「大盛況だね」
「ああ、こんなに混んでるとは思わなかったな」
と手塚も多少驚いているようだ。

「でも人がいる方が盛り上がっていいんじゃないか?」
「閑散としているよりはずっといいな」
普段はあまり人の多いところを好まない手塚でも祭は特別らしい。
俺達は普段よりもゆっくりとしたペースで出店の並ぶ商店街をぶらぶらと歩き始めた。

並んでいる出店は所謂テキヤではない。どこも普段このあたりで営業をしている商店がやっている。
最近では珍しくなった街の電器屋が、店で扱っているジューサーを使って生ジュースを売っていたり、カメラ屋がその場でデジカメで映した写真をプリントするサービスをやったりしている。
こんな祭は初めてなので、眺めているだけでも面白い。

食べ物を扱う出店もやはり同様で、たまに行く洋食屋が店のコロッケやフライを売っていたり、旨いと評判のフレンチレストランはほうれん草のキッシュやバケットサンドを並べたいたりする。
一度行ったことのある焼肉屋の特製キムチがやたらと旨そうで、思わず買いそうになったが、あれを持って人込みを歩くのは流石に気が引けた。

「出店で見るものって何でああ旨そうかねえ」
俺が笑いながら言うと、手塚も頷いて
「何か食べていくか?」と言い出した。
どこか座れるところは無いかと見回していたら、あちこちから俺達に視線が向けられていることに気がついた。

考えてみたら当たり前だ。
男の二人連れで、しかも二人揃っての浴衣姿は珍しい。
その上、ただでさえでかいのに下駄なんか履いているせいで、完全に人の波から頭が飛び出している。
それに加えて、手塚のあの容姿だ。
人目を引くなという方が難しい。

特に、若い女性の視線はあからさまに手塚に集中しているのに、誰も手塚に声をかけないのが面白い。
簡単に声をかけられるような人間じゃないことはきっと直感的に伝わってしまうんだろう。
高嶺の花という言葉が、手塚には良く似合う。
そんなことを本人に言ったら露骨に嫌な顔をするだろうけど。

そんなことを考えていたら、ついにやりと笑ってしまった。
手塚はそれを見て、何だ?というような顔をしていた。

「あ、手塚。タコスがある。あれ、食べない?」
だらだらと歩いていたら、座って食べられるスペースのある店を見つけた。
タコスは好きだし、空いた席もあるので丁度いい。
「ああ、構わない」
中に挟む具を選べるので、俺はチキンとトマトで、手塚はエビとアボカドを選んだ。
後はビールとチリビーンズ。
良く冷えたビールはものすごく旨かった。
調子に乗ってすぐに3本空けたけど、タコスの中味をこぼして浴衣を汚さないように気をつけることは忘れなかった。

「浴衣でタコスって変だね」
俺が笑うと、手塚も多少はアルコールが回ったのかいつもより機嫌の良さそうな顔で笑い返す。
「まあいいんじゃないか?」
「何が?」
「さあ」
馬鹿な会話をしているうちに、缶ビールは4本目も空になっていた。