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■安眠効果

「ただいま」
「おかえり」

新しい年を迎えてから初めて顔を合わせたというのに、いつもと変わらない言葉のやりとりで始まったのは、改まっておめでとうを言うのが照れくさかったからかもしれない。
手塚は持っていた大きな紙袋を黙って俺に押し付けてから、視線を避けるように屈んで靴を脱ぎ始めた。
紐で結ぶタイプの靴だから、少し手間がかかっているようだ。
「お土産かな」
「そんな上等なものじゃない。単に余り物を押し付けられただけだ」
俺は受け取ったばかりの、見た目よりも重い紙袋の中をちらりと覗いてみた。
「色々詰め込んでくれたみたいだな。ありがとうって伝えておいて」
手塚は俯いたままで、「ん」と小さく頷いた。

大晦日はお互いそれぞれの実家で過ごした。
俺は実家では一泊しただけで、手塚より一足早く1日の夜には自分のマンションに戻ってきた。
少しだけ買い物をして、部屋を暖め、手塚が戻ってきたときに寒々しく感じないようにしておいた。
それにしても、まさか手塚が二日の午前中なんて早いうちに戻ってくるとは予想外だ。
てっきり三が日くらいは実家にいるのだろうと思っていた。
だが、こんな風に予想が外れるのは大歓迎だ。

「明けましておめでとう。今年もよろしく」
「昨日、電話で言っただろう」
「でもやっぱり面と向かって言わなくちゃね」
コートを脱ぎながらリビングを横切る手塚は、俺の方を向こうともしない。
「俺達にとっては今日から新年が始まるんだよ。挨拶くらいしよう」
手塚はわざとらしく大きく息を吐いてから振り返り、やっと俺の顔をまともに見てくれた。
「…おめでとう。今年もよろしく頼む」
「こちらこそ」
近寄って手を伸ばそうとすると、手塚はくるりと身体を翻して自分の部屋に入ってしまった。
俺が何をするつもりかわかった上でのことなのは間違いない。
新年早々の可愛い嫌がらせに、怒るより先につい笑いが零れた。


手塚が戻ってきた途端、時間が経つのがとても早く感じることに驚いた。
ひとりの時間は嫌いではないが、普段の倍くらい過ぎるのが遅く、かなり退屈だ。
子供の頃から長い時間をひとりで過ごしていたはずなのに不思議なものだと、俺のとなりでソファに深く座ってコーヒーを飲んでいる横顔を黙って見つめていた。
「正月といっても何もすることがないな」
視線に気づいたのか、手塚は俺の目を見ながら静かに呟いた。
「退屈か?こんな正月は」
「いや、そういうわけではない。むしろほっとする」
お気に入りの卵色のマグカップを両手で包み込み、手塚はほんの僅かだが微笑んでいる。

「実家にいるときよりもこの部屋にいる方が安心する」
今度ははっきりとわかるくらいに、手塚は笑っていた。
「おかしな話だな。自分が生まれ育った家なのに、今はここが自分の居場所だと思っている」
「俺もそうだよ。実家に帰るとなんだか部屋が全部よそよそしい感じがする」
手塚は黙って頷いた。
そして、俺が手塚が持っていたカップを取り上げても、今度は逃げたりしなかった。
そっと触れた唇は暖かく、仄かにコーヒーの味がした。



俺がベッドルームのドアを開けると、手塚はベッドの中で本を読んでいるところだった。
手塚は俺を見て読みかけの本をパタンと閉じ、眼鏡を外した。
最初から俺のスペースは空けてあり、そこに滑り込む。
身体を横たえてから灯りを消し、肩まで毛布を引き上げると手塚の体温が薄い布越しに伝わってきた。

もっと近くに寄りたくて腕を伸ばすと、手塚は黙って俺に身体を預けてくれる。
両腕を回して背中から軽く抱いたら、手塚がとても肌触りのいいパジャマを着ていることに気づいた。
そういえば、さっき見た手塚は俺の知らない色のパジャマを着ていた。
年が改まったから、新しいものを下ろしたのかもしれない。
ガーゼみたいに柔らかい生地をに包まれた手塚を抱くのは気持ちが良かった。

だけど。

「手塚、まだ起きてる?」
「ああ」
静かな声が返ってきた。
「お願いがあるんだけどいいかな?」
「内容による。とりあえず言ってみろ」
言葉は硬いが口調は柔らかい。
きっとかすかな笑いを浮かべているんだろう。

「パジャマ脱いでくれないなか。俺も全部脱ぐから」
「どうしてわざわざ断わるんだ?脱がせたいときはいつも勝手にそうするくせに」
不審そうな声に俺は苦笑した。
そう言いたい気持ちはよくわかる。
「やりたい訳じゃないんだ。脱いでくれるだけでいい」
俺がいつものように自分で脱がせたら、手塚はきっとそうは思わないだろうと思ったから。
勿論やりたくないわけではない。
だけど、それは今すぐじゃなくてもいい。

俺が今一番欲しいものはそれじゃなかった。
どんなに肌さわりのいい布であっても、直接触れる手塚の肌の温度や感触には適わない。
ほんの数日はなれていただけで、それを恋しく思う程。
俺より少し冷たい手足や、滑らかな背中に早く直に触れたかった。
「ただ素肌に触りたかったんだ。駄目かな」

「少し待て」
短い返事が返って来るまでに僅かの間があいた。
すぐに手塚が身体を起こしてパジャマのボタンを外し始めた。
その間に俺も寝巻き代わりのTシャツと薄いスウェットのパンツを脱いだ。
そして鳥肌が立つ前に手塚の身体を抱いて、またベッドに潜り込んだ。

今度は向かい合わせで抱き合った。
背中に手を回し抱き寄せると、手塚も同じように俺の身体を抱こうとする。
触れ合った肌はとても暖かくて、掌がぴったりと手塚の素肌に吸い付いてしまう。

欲しかったのはこれだ。
他の誰のものでもなく、手塚でなくては意味も価値もない。
この身体が覚えているのは。

手塚の肌。
手塚の髪。
手塚の温度。

ただ抱き合うだけで全部伝わる。
抱き合うことでしか伝えられない。

それをやっと確かめられたからだろうか。
俺と手塚が深い眠りにつくまで、それから1分とかからなかった。



2006.01.07
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オフリミ新年話。姫はじめじゃなかったの(笑)。

ふたりとも、実家に帰ってひとりのベッドで寝て、それを「寂しい」と感じてくれたらいいなと思ったんです。「寂しい」と言う言葉じゃなくてもいい。
乾がいないと寒いんだなとか、手塚がいないとなんだか腕がすかすかするなあとかでもいい。そのせいでよく眠れなかったりしてね。とにかく「いる」と「いない」の差を実感して欲しかったのですよ。

だから「やる」よりもまず「いる」ことに安心する話が書きたかったのでした。一人じゃないっていいなあ、あったかいなあって。

…あー、恥ずかしい(笑)。