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■HOUSEKEEPING
「食器洗い乾燥機をどう思う?」
「どうも思わないが」
普通の独身男性が、日々『食器洗い乾燥機』について深く考えているという可能性は極めて少ないのではないか。
手塚が箸を動かす手を一瞬だけ止めて答えると、乾の箸も目の前のほうれん草の白和えに伸ばされた状態で止まっていた。
今日の夕食のメニューのひとつである、この白和えは乾が作ったものだ。
水切りを電子レンジで済ませて簡単に作ったものだが味はいい。
そんなことで固まっていないで、さっさと口に運べばいいのに。
そう思ったが言わずにおいた。
「買おうと思ってるんだ」
「何を」
「だから、食器洗い乾燥機を」
「いらないだろう」
「どうして?自分で洗わなくていいんだ。便利じゃないか」
「じゃまだ」
「コンパクトなのがあるんだよ」
今日、仕事の帰りに見てきたんだ――と乾はなぜか得意そうにひとり頷いていた。
手塚が親元を離れたのはまだ十代のことだったが、いわゆる自炊という経験はない。
留学中は寮にいたし、プロになってからは遠征で家を空けることが多かったし、休暇があっても日常の細々とした事はすべてハウスキーパーにまかせていた。
だから、乾と暮らし始めたときは何も出来ない手塚の分も含め、家事の全てを乾がこなしていた。
だが、いつまでもそれに甘えてばかりもいられない。
少しずつ乾を手伝ううちに、手塚もある程度は家事を引き受けられるようになってきた。
まさか自分に料理が作れるなんて思わなかったが、やってみれば案外楽しいものだとわかってきた。
振り返れば、こうして日々の生活そのものを楽しむということは初めてかもしれないと気づいた。
時々、乾は「退屈してないか?」と笑いながら聞いてくるが、決してそんな気持ちになることはなかった。
自分の過去を否定するつもりはない。
だが、今の生活がただ穏やかなだけのつまらないものでもない。
手塚にとっては十分に刺激的で、退屈している暇なんてありはしない。
それは恐らく今目の前で、かぶのそぼろ煮の入った小鉢を持ち上げている男がいてくれるからなのは間違いない。
「料理を作るのは好きだけど、後片付けがなければもっと楽しめると思うんだ」
「二人分の後片付けなんか、たかが知れてるだろう。不要だ」
「だけど、俺も手塚も忙しい時だってあるだろう?そんなときには少しでも時間を有効にしたいじゃないか」
「一時間も二時間もかかるわけじゃない。余裕がある方がやればいいだけだ」
「いや、でもね」
乾は中々引き下がらなかった。
時間短縮と、手で洗うより衛生的であることを主張して譲らない。
言っている事は間違ってはいないが、手塚にしてみたら少しの手間と引き換えにするほど万能なものとは思えない。
電化製品のことくらいで大の男が何をむきになって言い合いをしているのかと、だんだん馬鹿馬鹿しい気持ちもしてきた。
だが、乾がなぜこんなに執拗に食い下がるかは少しだけ理解できる。
食事を作ったり後片付けをしたりするのは、基本的には手が空いているほうがやることになっている。
別にそうしようと取り決めたわけではなく、自然とそんな風になった。
だが、どうしても社会人の乾と学生の手塚では忙しさの度合いが違う。
乾の仕事が立て込んでくれば、日々の雑用は自然と手塚が引き受けることになる。
多分乾はそれを気にしているのだ。
少しでも手塚の負担を楽にしてやれるのなら、食器洗い乾燥機程度の出費ならかまわない。
決して口には出さないが、きっと乾はそう考えてるのだ。
そんなこと、少しもかまわないのに。
「何度も言うようだけど、最新のはかなり小型化されていて邪魔にならない。省エネにもつながるし損はしないよ」
夕食の間中、乾の熱心な説得が続いた。
口での勝負は乾の方が圧倒的に有利だ。
次々と空いていく食器を前に、手塚は観念して息を吐いた。
「お前がどうしても欲しいなら好きにしたらいい。俺には止める権利はない」
「本当に…いいのか?」
半分はほっとして、後の半分は伺うような顔をする乾に、ついこちらの気持ちも緩む。
「だが、俺は狭い台所にふたりで並んで食器を洗ったりするのも、それなりに楽しかったんだがな」
それだけ言って箸を置いた。
乾はしばらく黙って手塚の顔を見ていたが、やがて自分もそっと箸を置いた。
「…言われてみれば、どうしても必要ってわけでもないな」
「ん?そうか」
「いや、冷静に考えると食器洗い乾燥機より先に必要なものがありそうだしね」
「それは、俺にはわからないが」
「うん。決めた。今回は見送るよ。もう少しじっくり考えてからでも遅くないだろう」
口調はきっぱりとしているが、なぜか乾は手塚を見ようとはしない。
微妙に視線をさけながら、話し続けた。
「お前が決めることだ。好きにしろ」
そう言って空いた食器を持って立ち上がると、乾もすぐに立ち上がった。
「あ、今日は俺が洗うから」
そして、すばやく汚れた食器を片付けていく。
「じゃあ、手伝う」
袖を捲くりながら隣に行くと、乾は慌てて首を横に振った。
「今日は俺ひとりでいいから、手塚は休んでてくれ」
「どうしてだ。手伝ったほうが早く終わるだろう」
「頼むから、今日はひとりでやらせてくれ」
頼むからとまで言われては、無理に手伝うわけにもいかない。
不可解な気分になったが、素直に従うことにした。
そもそも、後片付けを早く済ませるのが目的だったのだろうに。
今日に限ってどうしたのかと、ソファに向かう途中で乾の方を振り返った。
ざあざあと派手に水音を立てて食器を洗う乾の両耳が真っ赤になっていたので、そういうことかとようやく納得がいった。
2006.03.19
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この間実家に帰ったら、食器洗い乾燥機があったんですよ。
それを見て思いついた。家電からでも妄想が浮かぶ自分に乾杯。
食器洗い乾燥機、私は欲しいなあ…。
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