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■BoneChina
コーヒーを好んで飲むようになったのは、乾と親しくなってからのことで、自宅で飲む暖かい物と言えば、いつも紅茶か緑茶だった。
特に母は、お茶の時間を大切にする人で、よく紅茶にあう菓子を手作りしていた。
母以外は男ばかりの家では、優雅なティータイムという雰囲気とは程遠い。
どんなに凝った物を食べても反応は乏しく、きっと作り甲斐がなかったことだろう。
曲がりなりにも自分で料理を作るようになったせいか、今頃になって母には申し訳ないことをしたと思えるようになった。
同時にあの手作りのケーキやクッキーの素朴な味が、懐かしくもあった。
そんな話を乾の前でしたことが、そもそも間違いだったのだ。
ゆったりと静かな休日を楽しんでいた土曜日の午後、誰でも名前を知っている有名なデパートから、何の前触れもなく大きな荷物が届いた。
箱に赤い『壊れ物』という文字を見たとたん、この中身が何なのか、手塚にはすぐにわかった。
「乾」
届いたばかりの箱をテーブルの上に置くと、乾は青いデニムのシャツの袖をまくり、嬉しそうな顔で梱包を解き始めた。
「乾」
返事をしないのは、手塚が何を言い出すか予想がついているからだろう。
視線を合わせず、丁寧な仕草で箱の中身を次々と取り出しては並べていく。
手塚はテーブルを挟んで真正面に回りこみ、思い切り乾を睨みつけた。
「お前は何度言ったらわかるんだ」
「何が?」
乾は少しだけ顔を上げて、ちらりと視線だけを手塚に向けた。
テーブルの上は、新品の白い食器がずらりと並んだ状態だ。
「とぼけるな。なんだ、これは」
「ティーセットだよ」
「どうして買ったんだ、こんなもの」
「欲しかったからさ。いいデザインだと思わないか?」
軽く首を傾げる乾は、手塚の反応を面白がっているようにも見える。
「そういうことを言っているんじゃない」
手塚が何を言いたいのか、百も承知のくせに。
睨み付ける視線を上手くかわし、乾は箱の中身をすっかり出してしまっていた。
あくまでマイペースな行動が癪に障る。
乾が本当に欲しいものなら、自分の働いた金で何を買おうと手塚が口を出すことではない。
だが、手塚が軽い気持ちで口に出したことのために、金を使われるのは嫌だ。
乾自身の嗜好とはかけ離れたものを、手塚を喜ばせるためだけに手に入れるなんてことは、して欲しくはなかった。
「俺のために余計な金を使うなと、あれほど言っただろう」
「届いちゃったものはしょうがないでしょう」
自分で注文しておいて、何が『届いちゃった』だ。
いつの間にか手塚の目の前には、真っ白なティーポットが置かれていた。
華奢過ぎない丸みを帯びたフォルムと、温かみのある上品な白が印象的だ。
手塚はさほど食器に詳しい方ではないが、これが高級なものであることはすぐに見て取れた。
二人暮らしなら、カップは二つでいいだろうに、5客セット。
その上、恐らく使うことのないシュガーポットやミルクポットまでついている。
「お前の前であんな話をした俺が馬鹿だった」
「そんなこと言うなよ」
乾は真新しいポットを手に取り、柔らかい曲線にそって掌を滑らせた。
「手塚の話を聞いたときに、カップを手にする姿を想像してみたんだよ。絶対、白だと思ったんだ。無地で真っ白なティーセットが手塚には似合う。」
大切そうに乾が持ち上げたポットは、確かに真っ白で何の飾りもない。
「そう思ったら、どうしても手塚が白いティーカップで紅茶を飲んでいるところが見たくなった」
呆れるほどのロマンチスト。
しかも、優しい声と優しい顔でそんなことを言われたら、これ以上怒れなくなるではないか。
卑怯者と心の中で毒づいて、手塚は厳しい表情を崩さないように努力した。
ここで乾を甘やかすと、ろくなことにならないのは経験でわかっている。
「それならカップだけで十分だろう」
「駄目だよ、うちにはまともなティーポットがない」
「ティーバッグならポットは必要ない」
「それじゃ風情がない」
ちゃんといい紅茶の葉だって用意してあると、自慢気に言うのが、また可愛くない。
どうせ、手塚がいくら怒ろうと、乾はいつだって自分のやりたいことをやりたいようにしてしまうのだ。
手塚がため息をついたのを、乾は『折れた』のだと理解したらしい。
さも嬉しそうに笑うと、いそいそとカップとポットをキッチンへと運び出した。
テーブルの上には緩衝材が散乱したままだったので、手塚は仕方なくそれを片付け始めた。
なんとなく、負けを認めてしまったようで、面白くない。
「今、急いで洗っちゃうから、早速お茶を入れてみよう」
「今すぐか?せっかちだな」
「うん。早く手塚がお茶を淹れるところが見たいからね」
さらりと言われた科白に、思わず手を止めてしまった。
「…俺が淹れるのか?」
広い背中に向けて尋ねると、水音に混じってあっけらかんとした返事が返ってくる。
「だって、俺は紅茶はあんまり詳しくないから」
「俺だってそうだ。飲んだことはあっても、自分で淹れたことなんかないぞ」
「それじゃ、一緒にやってみよう。美味しい淹れかたを調べて、さ」
首だけで振り返り、乾は歯を見せて笑った。
こんなときだけ、子供みたいだ。
「でも、次からは手塚の担当だからな。ちゃんと手順を覚えてくれよ」
どこまで自分勝手な男なのかと呆れたが、その役割事体はそう悪い気はしなかった。
結局、この真新しいティーセットを自分は気に入ってしまったらしい。
悔しいが、乾の見る目は確かなのだ。
「ボーンチャイナだからね。結構丈夫だと思う。だから安心して使っていいよ」
ボーンチャイナというのが何かは良く知らないが、乾がそう言うからには丈夫なものなのだろう。
名前から察すると、何かの骨が混じっているのだろうか。
どこか温かみのある白さは、言われてみれば有機的な感じがしなくもない。
「万が一割っても、定番デザインだから、補充が利く」
なるほど、と手塚は感心した。
そういう気遣いは、自分は最初から欠けている。
水仕事を終えた乾は、タオルで手を拭きながら歩いてきた。
「上手く淹れられるようになったら、彩奈さんをお茶に招待しないか」
「いや、それは、ちょっと」
「どうして?彩奈さん、嫌がるかな」
「母は喜ぶと思うが、俺が遠慮したい」
親不孝だなと乾は笑うが、母と乾が並んでいる前で、平気な顔でお茶を飲むには、まだまだ修行が足りていない。
だからせめて、今度実家に戻ったときには、母に美味いお茶を淹れてやれるように、挑戦してみよう。
簡単に割れないというこのティーポットなら、練習にはちょうどいいだろうから。
2007.04.26
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乾に「彩菜さん」って言わせてみたかったんです。手塚はすごく照れそうな気がするんだな。
このティーセットには一応モデルがあります。ころんと丸い形がかわいい。
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