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■暑くても、寒くても

暑くても、寒くても、乾はいつも同じ顔をしている。
硬質に整った、傷のない、きれいな顔。


なんとなく首の辺りが寒い感じがして、目が覚めた。
不思議なもので、確かめなくても、乾がもうこの部屋にいないことは感じていた。
それでも、首を捻って乾がいるはずの場所を確かめる。
やっぱりいない。
だから、寒いのだ。
単純な論理に満足して、手塚は、まだ眠りを欲しがる身体を起こした。
テニスをやめて何年も経つが、自分を甘やかさない癖は、まだ抜けない。

ドアを開けると、途端にコーヒーのいい香りがした。
「お早う。手塚も飲む?」
乾はにっこりと微笑むと、手のサイズに合わせたような、大きなマグカップを持ち上げた。
ダイニングテーブルの上に新聞が広げられている。
休日に手塚より早く起きるのは珍しい。

「シャワーの後で」
「わかった。どうせなら朝食の支度もしちゃうよ」
「それでいい」
バスローブの襟元を左手で抑えながら歩いていると、乾が思い出したように声をかけてきた。
「今日はちょっと気温が低いみたいだ。あまり薄着をしないほうがいい」
そういう本人は、紺の半袖のTシャツを着ていた。
適当に頷いておくと、くすっと笑った気配がした。
無表情なようで、乾は案外よく笑う。

バスルームの床が濡れていた。
乾が先に使ったらしい。
ずいぶんと今日は早起きだったのだなと思いながら、コックを捻った。
少しの間、湯を浴びてから、乾の起床時間が早かったのではなく、自分が遅かったのだと気づいた。
そういえば、今日はまだちゃんと時計を見ていなかった。
自分の暢気さに呆れて、一人で笑ってしまった。

今日は気温が低いと乾は言っていたが、実際には何度くらいになるのだろうか。
乾の顔を見ている限りでは、あまり寒そうな感じがしなかった。
考えてみると、乾は寒がったり暑がったりすることがほとんどない気がする。
思い出そうとしても、乾のそんな態度がどうしても浮かんでこない。
中学生の頃の記憶まで遡っても、結果は同じだった。

そうだ。
乾はいつもそうだった。
暑くても、寒くても、いつも淡々としていた。
大袈裟に暑がって文句を言うこともなければ、寒さに背中を丸めたりもしない。
乾だけはいつも同じ。
髪型も眼鏡も表情も、ずっと変わらなかった。

勿論、夏の真っ盛りには、乾だって汗だくになって練習していた。
だが、矛盾しているようだが、涼しい顔をして汗をかいている。
乾はそんな奴だったように思う。
だから、周りからは何を考えているかわからないなどと言われたのだろう。

懐かしい記憶に頬を緩ませながら、全身にたっぷり熱い湯を浴びた。
確かに今日は涼しいのかもしれないと思う。
汗を流してさっぱりしたというよりも、暖かさにほっとした気がする。
コックを再び捻って、シャワーを止め、手塚は髪をかきあげた。

肌を滑り落ちていく水滴を見て、思い出す。
全身を汗で濡らし、呼吸を乱し、短く喘ぐとき。
そうだ。
その瞬間だけは、乾は違う顔を見せる。
真夏でも真冬でも変わらない男が、苦しそうに熱い息を漏らす。
その顔を、夕べ間違いなく見たことを、頭の中だけでなく全身で思い出した。

バスローブを羽織り、部屋に戻ると、やはり乾は普段通りの顔で、白い皿をテーブルの上に並べていた。
そして、手塚に気づくと、ゆっくりと顔を上げた。
「今日は随分長かったな」
「そうだったか?」
「うん。5分以上は長い」
その数字が随分という表現にふさわしいのかどうか、手塚にはわからない。

手際よく食器を並べる乾の隣に立ち、まだ髭をそっていないあごに手をかけた。
何だ?という目を向けられたが、それを無視して口付けた。
数秒間はそのままだったが、いったん唇を離した乾は両腕を手塚の腰に回し、キスを再開する。
流れるような動作は、悔しいくらいに様になっていた。

「朝から積極的だな」
乾は唇を離しても、腰を抱いたままだ。
「こうでもしないと、わからないからな」
「何が?」
「熱いのか、冷たいのか」
答えた手塚も両腕は乾の首に回したままになっていた。

「それは、俺のことか?」
乾は、少しだけ首を傾けた。
多分問うよりも先に、乾は既に答えを知っている。

暑くても、寒くても、同じ顔をし続けるその首を強く抱くと、同じ力で抱きしめられた。
どうやれば、澄ました乾の表情を変えられるか。
中学生の頃にはできなかった事が、今なら出来る。
それは、とても楽しいことのような気がした。


2007.05.21
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乾は、あんまり暑いとか寒いとか言わないような気がする。そうしたら、ふと「暑くても、寒くても」という言葉が浮かんで、気がつくとこんな文章をでっちあげてました。