ラベンダーの罠 2

「変だ」
手塚は、俺に向かってそう言い放つと、真正面から睨みつけてきた。
怒ったように眉を吊り上げてはいるが、その下の色の薄い目には、いつものような迫力は半分もない。
変なのは手塚だよ――。
そう言いたいのを我慢して、俺は手塚の顔を、黙って見返した。

俺の部屋は、狭い。
いや、マンション住まいであることを考えたら、中学生の息子に使わせる部屋としては、十分すぎる広さなのだと思う。
あまり贅沢を言っては、高い買い物をした両親に申し訳ない。
そこそこの広さを、閉所恐怖症の人間が入ったら逃げ出したくなるような状態にしたのは、俺自身だ。
天井につかえそうな大きな本棚が壁の一方を埋め、テレビやゲーム機を積んだラックの隣には、パソコンデスクと学習机が二つ並んでいる。
あとは、ベッドとチェストを空いたスペースに嵌め込むしかない。

その狭い部屋に、更に折りたたみの小さいテーブルを置き、184センチの俺と179センチ手塚は、向かいあって座っていた。
今日は部活がないから、家に寄って行かないかと誘ったのは俺だ。
二人きりの作戦会議というわけだ。
律儀になことに、手塚はきちんと正座している。
制服だと、さぞ窮屈だろうに。

手塚は、ぎゅっと強く目を瞑り、それからパチパチと瞬きを繰り返している。
少し涙目になっているようだが、ごみが入ったというわけではないだろう。
「なにが変なのかな」
俺は、いかにも不機嫌そうな手塚を刺激しないように、おとなしめの口調で聞いてみた。
まあ、正直に言えば、何が言いたいか見当はついているのだ。

「どうも、おかしい」
「だから、なにが?」
「お前と話していると、眠くなってくる」
「それは、俺の話が眠たくなるほど退屈だってことかな」
「違う」

手塚は開いたノートの上で拳を握り、きっぱりと否定した。
だが、やや上目遣いに、窺うような視線を向ける。
「お前、一服盛ったりしてないだろうな」
「人聞きの悪いのことを言わないでくれよ」

今日に限って、頑なにベッドの上に座ろうとしないので、おかしいなとは思っていた。
湯気の立つマグカップを渡したときの、神妙な顔の理由も、今になって見ると頷ける。
要するに、最初から手塚は俺を疑っていたのだろう。
そのくせ、俺の誘いそのものを断らない手塚は、とても可愛い。

「確かに、今日のハーブティーはリラックス効果の高いブレンドだけどね」
当然ノンカフェインだと付け加えて、俺は微笑んだ。
手塚のために用意してあったハーブティーのパッケージには、「Good sleep」と書いてあった。
リラックスできるともあったので、嘘は言っていない。

目立たないところに、こっそりラベンダーのポプリも置いてある。
BGMには、ヒーリング系のCDをボリュームを落として流している。
ちょうど今流れているのは、ジムノペディ第1番だ。
要するに、手塚の疑いは、的を射ているということだ。

「本当か?」
「ああ。本当だよ」
あまり、にこにこしても余計に疑われそうなので、軽く笑う程度にしておく。
手塚は、じっと空になったマグカップを見ていたが、やがてふっと息を吐いた。
心なしか、肩から力が抜けたように見える。

「俺と話していると眠くなる?」
「…ああ」
テーブルに頬杖をついて、顔を下から覗き込む。
それに気づいた手塚は、決まり悪そうに目を逸らせた。

「最近、お前と話していると、ほぼ必ずそうなる」
「それは、手塚が疲れているからじゃないのか?」
「そんなことはない」
案の定、手塚はむっとした顔で俺を睨んだ。

「この時期は、どうしても忙しいだろう?気づかないうちに疲れが溜まっているんじゃないのかな」
「……少しは、そういうことも、あるかもしれないが」
手塚はまた顔を横に向けて、ぼそぼそと返事をした。
今までは、頑固なまでに無理はしていないと言い張っていたのに、珍しいこともあるものだ。
俺の姑息な作戦が、功を奏したと思っていいのだろうか。
もう一押ししたら、無理をするのをやめてくれるかもしれない。

「きっと、そうだよ、手塚」
だから、あまり無理をするな――。
そう言葉にする前に、手塚が口を開いた。
顔には、苦笑とも照れ隠しとも受け取れる、微かな笑みが浮かんでいた。
だが、まだ俺のほうを見ようとはしない。

「お前とふたりだと、つい気が緩んでしまうようだ」
「そう、なのか?」
ああ、と小さな声で返事をして、手塚は自分の左手の甲に目を落とす。
どうしても俺の顔を見たくないらしい。

「お前の声を聞いていると、安心する…ような気がする」
手塚が急に顔を上げたので、ずっと見つめていた俺と視線がまともにぶつかった。
より驚いたのは、きっと俺のほうだ。

「前から思っていたんだが、お前は…ふたりでいるときの声と、部活で聞く声とは少し違うんだな」
「ふたりだと、大声を出す必要がないからな」
ここ最近は手塚を眠くさせようと、わざとゆっくり話していたことは教えない。

テーブルの上には、俺のノートと、手塚のノートが広げたままになっている。
俺のノートには、びっしりと文字が書いてあり、手塚のノートのページには、ほんの数行しか埋まっていない。
手塚のノートに目をやると、同じように手塚も俺のノートに視線を向けた。
だけど、俺も手塚も文字なんか追っていない。

「今の、お前の声のほうが、俺は好きだ」
――安心する。
手塚は、もう一度さっきと同じ言葉を繰り返した。

「お前に、甘えているのかもしれないな」
「そう、かな」
「多分そうだ」
白い頬は白いままだが、長めの髪の毛から見え隠れする手塚の耳朶は、ほんのりと赤い。
それが、俺の見間違いでなければ。

少しでもいいから、弱みを見せたがらない手塚の助けになればと、思っていた。
甘えてくれと言ったって、素直に頷く奴じゃないのも、わかっている。
だから、あれこれと回りくどい手を使った。
でも、俺が考えているよりもずっと、手塚は俺のことを頼りにしていてくれたかもしれない。
それに気づかないのは、俺のほうも、いっぱいいっぱいだったからか。

「どうして、お前にだけ甘えてしまうんだろう」
呟く声は子供のように素直で、本当に不思議そうだった。
俺を好きだからだよと、冗談のように軽く言えたら良かったのだが、肝心なときには口に出せない。
いわなくてもいいときになら、いくらだって軽口を叩けるのに。

「お茶、もう一杯飲まないか」
俺は腰を浮かせながら、空になったカップに手を伸ばした。
「ああ、ありがとう」
手塚は自分の前に置かれていたマグカップを、俺に手渡す。

「おかわりを淹れてくる間に、理由を考えてみたら?」
「やってみるが、あまり期待しないでくれ」
「了解」
手塚はちらりと俺を見上げ、それからふっと目を細めて笑った。

今日のハーブティーは、少し長めの抽出時間を必要とする。
美味しいお茶が出来上がるまでの時間に、俺も少しは気の利いた台詞をひねり出してみようと思う。

2008.05.07

寸止めです。書いている私が、こっぱずかしいです。
(※分割していたものをまとめなおしました)